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他人を省いて自分を生きる

英語学習の本当の目的は「異文化理解」にあり。

【あなたは何のために英語を勉強してますか?】

昨今、英語を学ぶべきだとはよく言われますが、そもそも私たちはなんのために英語を学ぶのでしょうか。
誰もこの質問に答えてくれないために、英語学習そのものよりも、
「何で自分は英語をやってるんだろう?」
という疑問と日々向き合っている人も少なくないはずです。

これでは勉強に身が入りませんね。
もしかすると、あなたもそんな1人かもしれません。

ですが、これはごく自然な状況だと言えます。
他の科目でもそうですが、そもそも英語を教わる中で、

「何のためなのか?」
「どこが目的地なのか?」

を私たちの多くは教えてもらっていないのですから。

 その結果、「目的もないのに英語を学んでいる自分」でいるのが辛くなってきます。
「学ばされている」と言ってもいいかもしれません。
義務になった学びほどつまらないものはないですよね。

こうなってしまうと、人間には「無目的なのに行動してる」という認知と行動とのギャップを埋めようとする心理が働きます。

この人間心理を上手に煽ってくるのが、巷のTOEICビジネスや英会話スクールビジネスの回し者たちです。
彼らは、あなたに欠けているピースである「目的」が入るべき穴を狙って、あなたの代わりの仮初めの「目的ピース」を用意してくれます。
それが「TOEIC高得点!」とか「外国人と友達に!」などの甘いささやきです。
一言で「不安煽りビジネス」と言えるでしょう。

 彼らの指導力は確かに本物かもしれませんが、自分が英語を使って何をしたいのかもわからないままでは、参考書やスクールに払うお金は何の自己投資にもなりません。

なにも利用先がなく、それゆえに芽が出ない投資はただの浪費です。
近所のスーパーでジャンクフードを買い漁ってる状態と大差ないでしょう。

目的は自分で設定することが大切です。
かけがえのないあなたの人生を、どこの馬の骨とも知れない他人に乗っ取らせないでください。
英語を学ぶことが半ば「あたりまえ」となっている現状だからこそ、自分オリジナルの目的を持っていることが、他者に抜きんでる足掛かりになるのです。

そんなわけで、今回は「そもそも私達は何のために英語を学ぶのか?」という疑問に、私が一定の答えを出そうと思います。

勉強法などと同じで、具体的な形は人それぞれであれども、どんな学習目的にも共通した、「英語学習の原則・大前提」と言える部分をわたしと一緒に理解しましょう。


【英語に限らない外国語学習のゴールは「異文化理解」にあり】

 英語に限らず、言語学習の目的は、

・その言語が使われてる国の「お国柄」で決まる部分。
・学習者に固有の条件に結びついた部分。

の2つから決まると言えます。
この内、「お国柄」の方を英語の場合で考えてみましょう。


 〈アメリカのお国柄は「科学技術大国」であること〉

英語はもともとイギリスの公用語ですが、日本人を含めて、世界で学ばれる英語のほとんどはアメリカ英語です。
少なくとも、アメリカ人の考え方を知る窓口として学ばれている背景が大いにあると言えます。

さて、皆さんにとってのアメリカ合衆国はどんなイメージで描かれるでしょうか?
自身がどう関わっているかによってその答えは十人十色の様相を見せるのでしょう。
一方で、確実に言えることがひとつあります。
アメリカ合衆国が世界でも屈指の「科学技術大国」であるという事実です。

実際問題、学校教育でわたしたちが学ばされてる英語の目的は、学術的な素養へのアクセスにあると言えます。
例えば、『金持ち父さん貧乏父さん』では、経済活動の参加者を以下の4つに大別しています。

・労働者
・専門家
・実業家
・投資家

そして、学校教育が育成している人材というのは、この内の上2つ。
労働者と専門家にあたります。

これは、自分が受けた教育を思い出せばすぐにわかるかと思います。
少なくとも、私たちの多くに「学校でお金の授業を受けた記憶」はないはずです。

逆に、学校という箱庭そのものに身を置くことで、組織立った行動を守ることを身に付けさせられたでしょう。
また、偉大な先人達が発掘した科学的発見の数々を頭に叩き込まれたでしょう。

これらは明らかに、企業組織の一員として右に倣えの行動をする人材を作るためのものであるか、先人の知恵の上にさらなる発見を積み上げるための土台づくりですよね。
要するに、労働者 or 専門家の育成です。

であれば、学校で習う科目である以上は、英語についても同じ目的でカリキュラムに組み込まれているはずです。
そこでヒントになるのが、アメリカは基礎研究の先駆的なお国柄を持っているという事実です。
よって、わたしたちは英語を学ぶことで、アメリカ発の最新の知見をいち早く取り入れるための土台作りをさせられていると結論付けることができるのです。

要するに、わたしたちが英語を学ぶ「事実上の目的」として必ずついてくるものが、
「科学的思考を身に付けること」であり、
「それを通じて現代の科学的知見を理解すること」である。
ということになるのです。


〈結局は異文化理解力が試されている〉

さて、ここまで考えてみると、英語に限らず、
「語学学習の目的は、その言語を公用語としてる集団が社会に対して果たしてる役割と切り離せない」
という側面に気付けるかと思います。

これをもっと簡単に言うなら、
「英語使用者はどんな形で社会に参加しているのか?どんな社会貢献をしてるのか?」
という観点と、私たちが英語を身に付ける目的とは切っても切り離せないということです。

つまるところ、ある言語をわたしたちがものにすることで身に付く素養は、
「その言語圏を生きる人たちの思考回路のインストール」
と言えるのです。

彼らと同じ考えを共有し、同じ行動理念にそって生きる。
それが実現されるわけですから、外国語学習の究極の目的は、やはり異文化理解なのです。


【そもそも、アメリカは多民族国家です】

もっと根本的なレベルに立ち返ると、アメリカ合衆国が「多民族国家」であるという視点は外せないでしょう。
民族や宗教が異なれば人は争わずにはいられないものです。
それは彼らが行ってきた数々の戦争の歴史が傍証になりましょう。

数々の戦争で人命を失い奪ってきたアメリカですが、そのおかげで育った「お国柄」は無視できません。
それが「アメリカは論理を重んじる」という点です。
アメリカが「合衆国」として、そして多民族国家として今までやってこれたのは、一重に「論理」のおかげと言えます。

アメリカは多民族国家であるが故に、バックボーンの異なる多くの人々の共通の約束事となるパラダイムを必要としました。
そこで役に立ったのが「論理」です。

論理というものは数学がそうであるように、決まった前提条件と手続きさえ踏めば、誰がやっても同じ答えが出るようにできています。
バックボーンの異なる人々のコミニュケーションにとってこれほど都合の良いものはありません。
ですから、英語は「論理の言葉」としての歴史を持っている言語なのです。

であれば、英語を学ぶにあたって「英語を使えるようになる」だけでは片手落ちだと言えましょう。「論理を語る言葉」として運用できてこその英語ではないでしょうか。

実際、日本語と英語とを比べると、日本語の表現には「意味するところが曖昧なものが多い」と言われることがよくありますよね。
それは、こうした歴史&文化的な事情から生まれた必然なのでしょう。
日本は島国であり、歴史的に見れば近年まで近場の国々としか交流を持ってこなかった国家です。
そんな閉鎖的な土壌で育った言葉ですから、日本語の背景に「言わなくてもわかるだろう」という空気があることも、また必然的です。

そして、アメリカでは科学的な研究が盛んに行われていて、それが論文という論理構成重視の文章で発信されています。
ですから、やはり「英語と論理と」は切っても切り離せない関係にあると言えます。


【それでも学習者は自分だけの目的を持ちましょう】

英語を学ぶ事実上の目的にそったゴール設定だけでもいいのですが、それではあなたの人材価値は十把一絡げに終わってしまいます。

資格制のスキルと同じで、だれもが必要性を知っているスキルは、必ず社会にあふれかえってきます。
例えば、就職活動を有利に進めるためにさまざまな資格を取得する人がいますが、あるデータによると、実際に就職活動で有利に働いていることが統計的に証明できたものは、TOEICテストの点数だけだったそうです。

このTOEICテストの結果の優位性にしても、近い将来は「だれでも持っているライセンス」に落ちこぼれていくでしょう。

しかし、そんな中でも英語スキルが活き続ける方法はあります。
別のスキルとの掛け算を使えばいいのです。

例えば、近頃エンジニアと呼ばれる職種に需要があるお陰で、プログラミングスキルの習得が流行っています。
しかし、流行ってしまっているからこそ、やはりプログラミングができだけはあまり人材価値は高まりません。
一方で、デザインやマーケティングスキルなども持っていて、ウェブページを作るにあたって、ページの見やすさや使いやすさ、広告の置き方などまで広く考えて設計できる人材であれば、複数のスキルの掛け算が働きますから、そう簡単に仕事にあぶれることはありません。

英語についても同じことが言えます。
英語ができることは、あくまでも「スタートライン」です。
「英語でなにができるのか?」まで語ることができてこそ、あなたは英語と価値のある付き合いを続けていけます。

近年であれば、海外のおもしろい最新情報を日本語に翻訳していち早く人々に伝えることで、SNSを通じたマーケティングに成功している人などが典型的でしょう。
彼らの場合であれば、「英語力と情報感度」の掛け算で人材価値を高めているわけです。

あなたがどんなオリジナルの目的意識を英語の中に見出すかはわかりませんが、これだけは確実に言えます。
何でもいいから、自分なりの目的をもって学習に励んでください。


【翻訳マシンがどんなに発達しても、英語を学ぶ意義は損なわれない】

少々はなしが変わりますが、翻訳用のAIが発達するにつれて、
「英語なんてできなくても翻訳で理解できてしまうのだから、わざわざ生身の人間が外国語を身につけても無意味では?」
という疑問をお持ちの方もいるかと思います。

はっきり言いましょう。
翻訳マシンがどんなに進化しても、人間が外国語を学ぶことには、侵されがたく掛け替えのない意義があります。

それが、本記事のタイトルでもある、外国語を学ぶことによる「異文化理解」という機能です。

どんなに優れた翻訳を読んだり聴いたりできたところで、結局のところ、そこで語られたコンテンツが生み出された背景というものは、自分がその言語の話者になることでしか体感できません。

言葉以外であってもそうですよね。
知っているのとやっているのとでは、実際に受ける印象に大きな差があることは、誰だって経験的に理解していることでしょう。

英語を学び、自分自身が英語を使いこなせるようになることでしか見えない世界があります。
逆に、日本語話者であるわたしたちが言葉を使って切り出す世界観は、英語を母語とする人々の認識には切り出せないものです。

このように、「新しい視点の獲得」にこそ外国語学習の本質的な意義が隠れているということに気付くと、わたしたち生身の人間の性能には、マシンにはカバーしきれない領域がまだまだ残っていることを実感できます。

わたし自身、今後とも英語学習とは末永く付き合っていく予定でいます。
あなたも、外国語と生涯の友人になる決意をしてみてはいかがでしょうか。