Save My LIFE

他人を省いて自分を生きる

「発信」は「リッチ」への足掛かりになる。

【価値観通りの人生デザインがリッチの条件】

〈お金だけじゃ幸せになれない〉

お金を持っているだけで誰もが充実した人生を送っていると考えるのは、ナンセンスだと言えます。
お金で得られる幸福感の上限は年収にして800万円程度であり、それ以上の幸福のためには、社会貢献のような還元的な使い方が必要であることがわかっています。

これは、ある程度の稼ぎがある人や、そのような人物が身近にいる方であれば、体感としても知っていることではないでしょうか。
そのような環境に身を置いている人でなくても、ビル・ゲイツマーク・ザッカーバーグなどの人物が、こぞって寄付や貧困対策に資材を投じている様子からも、なんとなく察しが付くというものです。

そこで私は、単なる「お金持ち」にとどまらない「リッチな生き方」こそ、わたしたちが目指すべき人生だと考えています。

さて。お金持ちを超える生き方である「リッチ」とはなんでしょうか。
それは、わたしたち日本人の価値観の変遷を辿っていくことでわかります。


〈価値観は世代を経て高度に進化していく〉

現在を生きている日本人の価値観の軸は、その人生経験に照らして大きく3つに分けられます。

①戦争を経験した世代の中心的な価値観は「食べ物」。
②バブルの崩壊を経験した世代の中心的な価値観は「お金」。

先ずはこの2つがわかりやすいでしょう。

戦争中のひもじい生活を体験している世代が食べ物を大事にするのは当たり前ですよね。
あなたの祖父母も、冷蔵庫の中にとてもじゃないけど食べきれないような量の食品を買い込んではいませんか?
あれは戦争体験の名残であり、ただ食べ物を腐らせているわけではないのですよ。

バブルを経験して、お金さえあれば何でも手に入る生活をしていた世代が、他でもないお金に重きを置くことも、戦争世代の食べもの信仰と同様に理解できますよね。
バブルの崩壊まで経験していれば、なおさらにそうでしょう。
当たり前だった生活が一瞬にして泡と消えてしまったなら、その生活を支えていた存在であるお金の有難さに打たれる心境は想像に難くありません。

ここまでに説明した、戦争世代とバブル世代の価値観は、歴史の教科書にも載るような大きな出来事がサインとしてありますから、その価値体系がかなりわかりやすいことと思います。

ひるがえって、まだ歴史の教科書に書かれていない世代である、わたしたち若者の価値観の正体を考えてみましょう。
戦争もバブルも経験していない、今現在の世代の中心的な価値観はなんなのでしょうか?

③答えは「存在意義」です。「生きがい」です。

わかりやすく物理レベルに置き換えるなら、「有意義な時間の使い方ができること」と言い換えてもいいかもしれません。

ことは単純です。
戦争もバブルも経験しておらず、生まれた時から世界は平和で、経済的な困窮とも大半の人々が無縁です。
であれば、食べ物とお金があることは「有難いこと」には感じられません。
食べ物があることも、生活に困らないだけのお金があることも、わたしたちにはもはや「あたりまえ」に過ぎません。
当たり前に用意されていて、手に入れる努力をしたことが無いものを大切に思えるメンタリティを持ってる人はかなり少数派でしょう。

要するに、価値観が物理レベルから心理レベルへと高度化しているわけです。
人類はあくなき探求心の塊ですから、昨日が満ち足りたらより良い今日を。今日が満ち足りたらより良い明日をめざすのは必然ですよね。

実際その通りに、わたしたちの価値観は、
「食べ物からお金へ。お金から生きがいへ」
と順調に発達してきたわけです。


〈価値観は常に私たちの人生に課題をくれる〉

食べ物もお金も当たり前になったからと言って、それらは全く必要ないわけではありません。
ありがたみに欠けてはいても、理性の分部で必要性を理解できるのが人間です。

とは言え、わたしたちは生きるために必要なすべてを満たしきったわけではありませんよね。
かのベンジャミン・フランクリンはこんな言葉を残しています。

「食べるために生きるな。生きるために食べよ」

彼はアメリカ独立戦争の時代を生きた人物です。
きっと今よりもよっぽど食べ物とお金に困った人々に囲まれて生きていたはずです。
にもかかわらず、こんな言葉を残せるのですから、相当な先見の明があったと言えます。

そうです。
わたしたちは食べるために生きる時代から、生きるために食べる時代に移り変わっています。

食べることもお金を稼ぐことも大切ではあります。
ですが、それだけでは時間の使い道に困ってしまいます。
人類が生き抜くために必要な「物理面の課題」は旧世代が解決してくれました。
彼らの屍を超えて生きる私たちの新しい課題は、その上にどんな課題を見出し解決するかです。
それをいかにして次の世代の糧として受け継ぐかです。

おわかりでしょうか。
世代に共通した一定の価値観というものは、わたしたちが「人類」という単位で共同して生きていくための軸なのです。
言うなれば共通の敵なのです。

敵の敵は味方」という言葉がありますよね。
わたしたちは共通の敵を前にすると協力できる性質を持っています。
それは時に戦争や差別の温床になりますが、正しく使えば次世代をそだてる土壌になります。

すくなくとも、価値観を軸に協力したときに、わたしたちが誤ったことはありません。
「生きがい」という敵との戦い方を共有しましょう。


【わたしたちの課題は何だろうか?】

「存在意義」とか「生きがい」と言われても、その価値観の持ち主である私たちにすら、それが何なのか?という点についてはおぼろげです。

とはいえ、先にも述べましたが、
「生きがいとは、要するに時間の使い方である」
という考え方で説明が付くと思います。

どんな行動を起こし、何を感じ取るにしても、そこには必ず時間の流れがあります。
わたしたちの体感は時間に裏打ちされてしか存在できません。
であれば、生きがいという体感も時間の流れを無視して定義できません。

わたしたちは、時間を有意義に使うことができた時、そこに生きている甲斐を見出せるのです。
つまり、「存在意義」「生きがい」を価値観に選んで生まれてきた私たちの課題は、
「いかにして有意義な時間を過ごすか?」です。

敵を知った次は、己を知りましょう。


【「お金×人間関係」で私たちの時間は輝きを増す】

わたしたちは、どんな時間の過ごし方が達成されたとき、生きがいを感じることができるのでしょうか。
この答えは冒頭にも書いた通りですね。
「他者への貢献」が答えになります。

これは科学的にも明らかになっていることでして、結局のところ、どんな人物でも社会集団への「参加と貢献の感覚」が幸福感の裏付けになります。

そして、この「参加と貢献の感覚」を得るためにも以下の3つのものが必ず必要になります。

・人間関係
・お金
・時間

それぞれ解説します。


【人間関係】

これはもはや解説不要かもしれませんね。

社会というのはそもそも人間がいて、彼らが相互に関係していないと成り立ちませんよね。
ということは、社会への参加は人間関係の構築によってのみ成り立ちます。

もちろん、単に参加するだけでは足りません。
他者に喜ばれるような形で社会における役割を持っていなければ、自分にとっても喜びに欠けてしまいますからね。

ボランティアをやってる人をイメージすればわかりやすいかと思います。
彼らは口では「困ってる人の笑顔のため」と言いますが、もっと根本的なレベルまでさかのぼると、結局はボランティア活動者自身が「困ってる人の笑顔を見るとうれしいから」ですよね。

ボランティア活動に積極的に従事する人々の生き生きとした姿からわかる通り、他人が喜ぶ形での社会への参加は、明らかに自分自身の喜びに繋がります。

わかりやすい例としてボランティアを挙げただけで、お金を取っていても人から感謝されてる人物や組織はたくさんありますからね。


【お金】

前の項目の最後に「お金を取って感謝されている人がいる」と言いましたね。
成長している企業や確固たる地位を築いてる大企業、地域に根差した個人事業主など、わたしたちの身近に当たり前にそういう存在はあります。

そもそも、資本主義という仕組みは、人の役に立つことをしている人物や組織が評価されて、その結果としてお金が集まってくるという構造をしています。
ですから、貢献的な社会参加ができていれば、お金は半ば自動的に集まると考えて間違いありません。

この点が理解できると、わたしたちが置かれている資本主義社会では、

・貢献的であるという意味での良好な人間関係
・社会貢献のお礼として帰ってくるお金

この2つは表裏一体の対応関係にあることに気付けます。

そして、次の項目で解説する「時間」についても、質の伴ったものであるためには「人間関係&お金」と連動関係にあります。


【時間】

資本主義社会で成功を収めている人々が、一朝一夕の努力でその成果を出したわけではないことは、誰もがわかっている事実かと思います。
つまり、貢献的な参加ができていることの証拠・いわば答え合わせとしてのお金を得るためには、相応のスキルが必要なわけです。

ここでの「時間」とは、そのような誰かの役に立つ成果に繋がるスキルを習得するための時間のことになります。

つまるところ、生きがいの伴った時間の使い方とは、誰かのためになるためにスキルを磨くことに他なりません。
今すぐに成果になるような

プログラミングのように「稼げるスキル」と言われるスキルは、それだけ世の中の需要があるということです。
需要があるということは、そのスキルは誰かの役に立つ確率が高いということですから、いわゆる「稼げるスキル」と呼ばれるものを身に付ける取り組みは、人間関係にもお金にもプラスになります。

そして、スキルは習慣化された努力があってこそ身に付くものですから、相応の時間が必要になるわけです。


ファイナンスを超えて職業へ】

ここまで生きがいのための3つの要件を解説してきましたね。

・人間関係
・お金
・時間

を満たしたスキル習得の努力や習慣を通じて、わたしたちは仕事には2種類あることを知ります。
「自分が生きるためのお金稼ぎ」と「他人を生かし活かすためのお金稼ぎ」です。

ここで先に述べたベンジャミン・フランクリンフランクリンの言葉である
「食べるために生きるな。生きるために食べよ」
を思い出してほしいと思います。

これをお金稼ぎの文脈で言い換えると、
「生きるために稼ぐな。稼ぐために生きよ」
とすることができます。

ここでの「稼ぐために生きる」とは、ここまでの内容を踏まえれば「貢献的な社会参加のために生きる」ということになります。


〈2段階の時間〉

ところで、スキル習得のために使っている時間というのは、座学のような形を取ることが多い一方で、特定の会社に所属して、働きながら職場でスキル習得する場合もあるかと思います。
というよりも、時代の変化があまりにも早いために、今の学びが今しか役に立たない状況ですから、実践そのものを学びとする方が効率的かつ建設的です。

このような形で学んでいる期間というのは、主体的に貢献活動をしているというよりは、既にでき上がっている貢献の仕組みを維持するための働き方であり、自分自身が貢献してお金を稼いでる状況とは違います。

この期間というのは、あくまでも「仕事の時間」であり、「貢献的な社会参加の時間」とは区別できることがわかります。

この期間を卒業して生きがいの伴った時間を過ごせるようになると、それは単なる「仕事」から「職業」と呼べるものに昇華されます。


〈仕事はファイナンス活動と職業に分けられる〉

社会への参加には、他人の貢献活動を補助するやり方と、自分なりの貢献活動を行うやり方との2つがあることがわかったかと思います。

前者の「他人の貢献活動を補助するやり方」を、わたしたちは主に就職という形で実現します。
これは生活費を稼ぐための活動であるわけですから、便宜的にファイナンス活動と言い換えられます。

他方、後者の「自分なりの貢献活動を行うやり方」については、これまで起業などの形でしか実現できませんでした。
ボランティアなどもあるにはありますが、生活費に困ってしまいますよね。
これがお金も付いてくる形で実践されるようになった場合、これを職業と呼ぶことにしましょう。

この「職業」ができている状態になると、人間関係とお金・時間の3つが同時に手に入ります。

みなさんにはぜひともこの段階を目指してほしいですし、わたしもそのために精進の日々を送っています。


【発信こそ誰もができる職業】

今はわざわざ企業などしなくても、インターネットを通じた活動を通して、誰もが貢献的な活動を容易に実現できるようになっています。

それが「発信する」ということです。

わたしたちは、自分の視点や考えを発信することで、他者に喜びを与えることができる時代に生きています。
SNSで個人に大勢のフォロワーが付く理由は、彼らがその人物の人となりや生き様を知りたがっているからですよね。
それを知ることに喜びを感じているし、自分の人生がより良くなる発想を手にすることができると信じているからですよね。

SNSだけではありません。
ブログやYouTubeもあれば、このnoteだってそのような目的が実現可能なメディアのひとつに位置付けられるでしょう。

また、発信をしていくことは、同じ志を持った同志と呼べる人々との出会いすらももたらします。
生きがいに不可欠な人間関係も手にすることができるわけです。

さまざまな媒体を通じて、可能な限り多くの人々に私たちの意思表明をしていくことが、今を生きる私たちの価値観が必要としている「生きがいの攻略法」と言えるのではないでしょうか。

良質な発信を通じた貢献活動こそが、

・誰でも出来て
・人間関係も手に入る
・社会への参加と貢献も実現される
・伝えるスキルも伸びていく時間を過ごせる

時代が求める「リッチ」の条件を満たすための最良の選択ではないでしょうか。