Save My LIFE

他人を省いて自分を生きる

長い人生、女性は化粧品を選びましょう。

私たちの健康寿命が伸びて行って、今まで以上に働ける期間が延びるのだとしたら、今までのような化粧品の位置付けは考え直したほうがいい。


【化粧の矛盾】

そもそも肌というのもは体内と外界とを隔てるバリアであると同時に、老廃物を排泄する器官でもある。化粧品というのは、どんなに健康に害のない成分が使われていたとしても、どうしても後者の排泄機能をブロックしてしまうもの。物理的に肌に塗布するものであることに伴う限界と言ってもいい。
そうなると、恐らく女性の大半が感じているように、折角魅力的に見せるために化粧をしているというのに、その目的とは裏腹に、化粧の向こう側に隠れた本当の肌は必要以上にダメージを負う悪循環に陥るのは必至。
しかも、複利の考え方と同じ話で、継続期間が長ければ長いほどダメージの蓄積は雪だるま式に大きくなっていく。単なる一次関数ではなく、どちらかと言えば二次関数式に大きくなるわけだ。


【男性の矛盾】

ここで先に述べた「寿命の伸び」というパンチが逆説的に効いてくるわけですよ。健康寿命が延びて働ける期間も長くなった時、その期間を企業戦士として全うしたいという女性がいるとしましょう。長年に渡って毎日の化粧でダメージを重ねた肌はボロボロ。それを隠すための厚化粧が追い討ちをかけて、負のダメージサイクルにも拍車がかかるわけですよ。でも化粧をすることが社会人女性の最低限のマナー。最小公倍数だか最大公約数だとされている風土のために、彼女はそれを止めることができない。一方で、未だ男性社会である企業において、他でもない男性たちの多くが「厚化粧なんて嫌い」と言うのです。あまつさえ同じ男性が「薄化粧が一番」「ナチュラルメイクが一番」とまでのたまう始末。その薄いメイクの日々が積み重なった結果の厚化粧もあると言うのに。なんたる自己矛盾でありましょうか。それとも、彼らの目には若い女性以外が「女性」としては写っていないのでしょうかね。だから、これを矛盾とは思っていないのかも。自分達も彼女らと同じように歳を取って、結局は同年代同士の付き合いに終始する人生になる可能性があると言うのに!そうなった時に彼らが言う「女性」という言葉の意味するところは、いやがおうにも「同年代の女性」にならざるを得ないというのに!


【未来に備える。化粧は健康管理の内】

そういう時代が訪れると仮定した時、元々の美貌に化粧を上塗りして元の美しさを損なっていくことは、将来にとっての大きな損失かもしれませんよ。
寿命が50年や60年しかないなら、ダメージの蓄積は大きくなり用がないので、幾らでも化粧を使って美貌を取り繕えばいいと思います。しかし、人生が100年にもなる時代が来るとしたら、人生後半の化粧による肌ダメージは甚大ではないでしょうか?つまり、私たちの人生が長くなればなるほど、「今この瞬間の選択」が人生に占める重大さが増していくわけですよ。あくまでも「習慣的な選択」の話ですよ。
こうなった時に、振り上げた拳の落としどころがわからないのは不健全でしょう。なるべく全ては自分が自分の意思で行った選択の責任であって欲しいものです。他人のせいだと憎しみに囚われて辛いものですが、自分のせいなら簡単に諦めがつきますから。
そんなわけで、化粧をするかどうかも男女を問わずに自分の意思で選べて、尚且つその選択が個人への評価に影響しない時代は決して遠くないかもしれません。であれば、もはや「化粧をするか否か?」「するならどの化粧なのか?」というのは、食べ方の哲学としてのダイエット同様に、長い人生を股にかけた健康管理の内と言っても過言ではないでしょうね。


【男女両方の意識改革を】

女性の意識改革はもとより、そもそも女性が「化粧をしなくちゃ」と思う原因が男性側の考え方に起因する側面を持つのであれば、男性の意識改革も同時にやらねばなるまい。
世の男性の多くが「身だしなみ」としての女性の化粧をどう捉えているかは甚だ疑問だが、もしも自分達が出社時に着ているスーツなどと同様に「女性はかくあるべし!」なんていう風に位置付けているのであれば、今後の女性たちの健康の為にもその考えは改めたほうがいいでしょう。
少なくとも私自身は、女性が毎朝、自分の肌の健康を害してまで化粧に勤しみ、あまつさえその分の時間を機会損失したり、早起きのために睡眠不足を招いているようであるなら、そんな習慣は要らないと思います。化粧をした女性が好きな男女と、化粧をするのが好きな女性との間だけの趣味のようなものでいいんじゃないですかね?
睡眠不足や健康を損なうことが個人が発揮する会社での生産性に影響することから考えても、企業風土が女性の化粧を無言の圧力で以って強要しているような空気は自己矛盾とも言えましょう。
私がこんな風に考えてしまうことは、ろくに就職などもしたことがないという背景も手伝ってのことではあるのかもしれませんが。ついでに言うと、個人的に化粧をしている女性の匂いが苦手なので、むしろやめて欲しいとすら思ってしまうことがあるくらい。化粧品の種類にも寄るのだろうか?


フィクサーという手もある】

先の例えの企業戦士な女性の話の時に、歳を取った男性にとっての「女性」はいやがおうにも「同年代の女性」であると言いましたが、それは女性から見た男性についても言えることです。歳を取った女性にとっての「女性」はいやがおうにも「同年代の男性」でありましょう。少なくとも、そういう目で見ることを互いが了承できる関係に限ればですが。
という風に考えた時、たとえ男性が、あるいは男性社会が女性に化粧を求めたとしても、彼女らがそれに従う必要は無いことに気付きます。何故なら、女性に化粧を求める男性の多くは、きっと私が今ここで詳らかにしたような、他でもない「自分自身の結末」に思い及ばないままに浅慮な考えで、なんなら考えではなく単なる欲望や自己満足の類のために、そのような態度を取っている可能性が大だからです。
女性の皆さん。たとえ男性の意向に従う生き方を選ぶとしても、決して彼らの浅慮にまでは付き合わされないでください。男を立てる女を演じる範囲と、男女関係における裏の支配者として振る舞う範囲との線引きを誤らないでください。たとえ舞台に立てなくても、それは必ずしも無力を意味するものではありません。影の暗躍者なんて歴史上に五万といることでしょう。表がダメなら裏を牛耳るフィクサーになりましょう(マーガレットサッチャーみたいな人物もいますが)。
「男だけに任せてはおけない!」
そんな「男らしい(?)」女性の活躍を私は待ってます!

ではまた。