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他人を省いて自分を生きる

コロナウイルスを『銃・病原菌・鉄』で読み解く。

コロナウイルスを『銃・病原菌・鉄』で読み解く】

皆さんは、『銃・病原菌・鉄』という書籍をご存知でしょうか。
この本は、『文明崩壊』の著者でもあるジャレド・ダイアモンド先生が書いた本になります。

内容は『サピエンス全史』同様、人類の歴史を紐解く内容でして、タイトルに「病原菌」の3文字が躍っていることから想像できる通り、今回のコロナウイルス騒動を歴史から紐解くに当たって、打って付けの書物です。

そこで今回、私が『銃・病原菌・鉄』の内容をベースに、コロナウイルス蔓延の構造を紐解き、今回の騒動が「いつかは起きていた必然」である事を説明してみせましょう。


ユーラシア大陸は横長であることが強み】

本記事の結論は大きく2つに分けられます。

ユーラシア大陸が横長の大陸であることが、今回のコロナウイルス蔓延の決定的な原因であること。

②①より、ユーラシア大陸の形は人為的に変えられるものじゃないからこそ、大規模なウイルス感染は、いつかは起こっていた必然である。

それぞれ解説していきますが、先ずは『銃・病原菌・鉄』の中でも、コロナを考える上で外せない内容を解説しますので、しばしお付き合いください。


〈地球上で、横長の大陸は最強〉

『銃・病原菌・鉄』の重要な結論は、
「ヨーロッパが世界を支配するほどの地位に君臨できているのは、ユーラシア大陸が横に長い大陸だから!」
というものです。
横長の大陸とはどういうことかというと、
ユーラシア大陸の中ではどの地点においても緯度が変わらないため、環境の変化も少ない」
ということです。

例えば、縦長国土を持つ日本においては、北海道と沖縄では圧倒的に緯度に差があるため、気温も天候も全く違いますよね。逆に、だいたい同じ緯度にある東京と大阪では、気温も天候もほぼ同じと言っていいでしょう。

このように、緯度の違いは大きな環境の変化をもたらしますが、逆に、緯度が同じ土地ではおよそ同じ環境が共有されることになります。

環境が単調な大陸では、ある土地で成功した農作物の栽培方法や家畜の飼育方法が、となりの別の国でも使えるということになります。となりの国でも環境が同じなのですから、これは当然ですよね。
一方、縦長の大陸を持つアフリカのような国々では、たとえある国で農作物の栽培方法や家畜の管理方法が確立されても、それをとなりの国でも活かしていくことができません。環境があまりにも違いすぎるため、また一からやり直さないといけないのです。

こんな具合に、ヨーロッパの人々はアフリカ大陸やアメリカ大陸の人々に比べて、圧倒的に環境に味方されていると言えるのです。

また、このように生活基盤が整えば、人々の生活には時間的な余裕が生まれますよね。農業や家畜の管理のために必死で働く必要はありませんから。
これが人々にテクノロジーをもたらすことになりました。その1つが銃です。これを持ってヨーロッパの人々は他の大陸に攻め入るわけですが、実は、侵略において本当に恐ろしいのは銃ではありません。彼らが体内に溜め込んだウイルスや細菌なのです。

例えば、歴史的に見ると、イギリスがアメリカ大陸に攻め込んだ時、銃殺されたネイティブアメリカンよりも、病気で死んだネイティブアメリカンの方がずっと多いと言われています。

なぜこんなことになるのか?先にも述べましたが、ヨーロッパ人は農業とともに家畜の管理も成功させていましたよね。実は、野生動物の家畜かというのは、人類にとって大変な偉業でして、今でもまともに家畜化できている動物はわずかに14種類程度です。
そして、その14種類の動物のほとんどは、ヨーロッパ大陸には生息していて、他の大陸には生息していない生き物でした。

ここがポイントです。
家畜との共存関係というのは、言い換えれば、彼らが体内に保有している多様なウイルスや細菌との共存をも意味します。このような環境で生活していれば、免疫力が高まるのは当たり前ですよね。
こんな状態で他の大陸に侵入すれば、銃なんか持たなくても、その身体自体が大量の未知のウイルスを抱えた爆弾みたいなものです。これによって、ウイルスに耐性を持たない新大陸の人々はバタバタと倒れていったわけです。

つまり、ヨーロッパの人々は人工のテクノロジーと、自然の生物兵器のダブルパンチのスキルを手にしていたからこそ、世界を牛耳る立場に君臨できたのです。


【コロナの発生源の条件は家畜との共存と同じ】

家畜が身近にいる生活がヨーロッパ人の免疫力を高めたということは、動物にはそれだけ多くのウイルスや細菌が住んでいるということです。
今回の新型コロナウイルス発生源とみられる中国の市場は、様々な動物が人間と物理的に近い距離にある点で、これに近い条件にあると言えます。

また、中国もユーラシア大陸を構成する国の一部ですから、ここまでに説明した内容が同じように適用できます。よって、「環境が同じ」であることは、今回のコロナウイルス蔓延にとっても、決定的な要因だった考えられます。

環境の変化が激しければ、当然のことながら、そこに住んでいる生物の種類も大きく変わるはずですよね。一方で、広く同じような環境が続いている土地では、どこに行っても同じような生態系が見られるはずです。

これがウイルスにも言えるわけです。
ウイルスも環境に生かされている存在ですから、異なる環境で蔓延することは難しい一方、似通った環境で増殖&蔓延することは容易です。どこに行っても環境が変わらず、しかもどの大陸よりも面積が広いヨーロッパ大陸は、特定の種類の生物が反映するためには絶好の条件と言えます。
おまけに、ウイルスや細菌のように単純な構造の生物ほど、爆発的なスピードで増えることができますから、同じように1つの環境を支配しようとする他の生物に比べて、圧倒的に有利に支配を進めることができます。

裏を返せば、ユーラシア大陸のある一点で適応を遂げた新種かつ猛毒のウイルスが誕生すれば、それはユーラシア大陸全土に適応したも同然なわけです。
これが、過去の歴史で言えばスペイン風邪が、現在で言えばコロナウイルスが爆発的に蔓延できてしまっている理由です。

横長の大陸は強みであると同時に、裏を返せば弱みでもあるのです。
一定の環境下、無性生殖で増える多様性の無い生物は、環境の変化に弱いという弱点があります。横長の大陸はこの弱点を「環境の単調さ」で見事にカバーしているわけです。
つまり、同じような環境に適応している生物は、たとえ多様性があったとしても、その多様性は環境の一定性に制限された範囲に限定されるため、1つの危機的な状況によって一気にひっくり返る、ということが言えるわけです。

そして今回、またもユーラシア大陸が発生源である病原菌が、その単調な環境を舞台に生息地を拡大しているわけですね。


【今回のウイルス感染は必然であり、またいつか起こる】

・さまざまな動物が身近にいる状況。
・昔から変わらない横長の大陸の強みと弱み。
・グローバルな時代背景に伴う人の往来。

という三つの条件が重なって、新型コロナウイルスの感染拡大は起こっていると考えられます。

そして、この三つの条件は今後もそう簡単には変化しません。
大陸の形は核戦争でも起こらない限り変化しないでしょう。
中国の市場にみられる「さまざまな動物が身近にいる環境」というのも、あの国での貧富の差が是正されることなく、食べるのに困っている人々が大勢いる限り、決して変わることはないでしょう。
グローバル化に伴う世界規模での人の往来についても、リモートワークの普及で仕事のために移動する人は減るでしょうが、場所に囚われない働き方が移動の自由を生み出す分、旅行客はむしろ増えるでしょう。

これらの点を考慮するに、今回のコロナショックが過ぎたとしても、第二第三のコロナショックが襲うことは想像に難くありません。
人と人との接触がリスクとして認識される流れが加速しているわけではありますが、まだまだパンデミックの条件が取り除かれたわけではないことには、注意が必要です。

「発信」は「リッチ」への足掛かりになる。

【価値観通りの人生デザインがリッチの条件】

〈お金だけじゃ幸せになれない〉

お金を持っているだけで誰もが充実した人生を送っていると考えるのは、ナンセンスだと言えます。
お金で得られる幸福感の上限は年収にして800万円程度であり、それ以上の幸福のためには、社会貢献のような還元的な使い方が必要であることがわかっています。

これは、ある程度の稼ぎがある人や、そのような人物が身近にいる方であれば、体感としても知っていることではないでしょうか。
そのような環境に身を置いている人でなくても、ビル・ゲイツマーク・ザッカーバーグなどの人物が、こぞって寄付や貧困対策に資材を投じている様子からも、なんとなく察しが付くというものです。

そこで私は、単なる「お金持ち」にとどまらない「リッチな生き方」こそ、わたしたちが目指すべき人生だと考えています。

さて。お金持ちを超える生き方である「リッチ」とはなんでしょうか。
それは、わたしたち日本人の価値観の変遷を辿っていくことでわかります。


〈価値観は世代を経て高度に進化していく〉

現在を生きている日本人の価値観の軸は、その人生経験に照らして大きく3つに分けられます。

①戦争を経験した世代の中心的な価値観は「食べ物」。
②バブルの崩壊を経験した世代の中心的な価値観は「お金」。

先ずはこの2つがわかりやすいでしょう。

戦争中のひもじい生活を体験している世代が食べ物を大事にするのは当たり前ですよね。
あなたの祖父母も、冷蔵庫の中にとてもじゃないけど食べきれないような量の食品を買い込んではいませんか?
あれは戦争体験の名残であり、ただ食べ物を腐らせているわけではないのですよ。

バブルを経験して、お金さえあれば何でも手に入る生活をしていた世代が、他でもないお金に重きを置くことも、戦争世代の食べもの信仰と同様に理解できますよね。
バブルの崩壊まで経験していれば、なおさらにそうでしょう。
当たり前だった生活が一瞬にして泡と消えてしまったなら、その生活を支えていた存在であるお金の有難さに打たれる心境は想像に難くありません。

ここまでに説明した、戦争世代とバブル世代の価値観は、歴史の教科書にも載るような大きな出来事がサインとしてありますから、その価値体系がかなりわかりやすいことと思います。

ひるがえって、まだ歴史の教科書に書かれていない世代である、わたしたち若者の価値観の正体を考えてみましょう。
戦争もバブルも経験していない、今現在の世代の中心的な価値観はなんなのでしょうか?

③答えは「存在意義」です。「生きがい」です。

わかりやすく物理レベルに置き換えるなら、「有意義な時間の使い方ができること」と言い換えてもいいかもしれません。

ことは単純です。
戦争もバブルも経験しておらず、生まれた時から世界は平和で、経済的な困窮とも大半の人々が無縁です。
であれば、食べ物とお金があることは「有難いこと」には感じられません。
食べ物があることも、生活に困らないだけのお金があることも、わたしたちにはもはや「あたりまえ」に過ぎません。
当たり前に用意されていて、手に入れる努力をしたことが無いものを大切に思えるメンタリティを持ってる人はかなり少数派でしょう。

要するに、価値観が物理レベルから心理レベルへと高度化しているわけです。
人類はあくなき探求心の塊ですから、昨日が満ち足りたらより良い今日を。今日が満ち足りたらより良い明日をめざすのは必然ですよね。

実際その通りに、わたしたちの価値観は、
「食べ物からお金へ。お金から生きがいへ」
と順調に発達してきたわけです。


〈価値観は常に私たちの人生に課題をくれる〉

食べ物もお金も当たり前になったからと言って、それらは全く必要ないわけではありません。
ありがたみに欠けてはいても、理性の分部で必要性を理解できるのが人間です。

とは言え、わたしたちは生きるために必要なすべてを満たしきったわけではありませんよね。
かのベンジャミン・フランクリンはこんな言葉を残しています。

「食べるために生きるな。生きるために食べよ」

彼はアメリカ独立戦争の時代を生きた人物です。
きっと今よりもよっぽど食べ物とお金に困った人々に囲まれて生きていたはずです。
にもかかわらず、こんな言葉を残せるのですから、相当な先見の明があったと言えます。

そうです。
わたしたちは食べるために生きる時代から、生きるために食べる時代に移り変わっています。

食べることもお金を稼ぐことも大切ではあります。
ですが、それだけでは時間の使い道に困ってしまいます。
人類が生き抜くために必要な「物理面の課題」は旧世代が解決してくれました。
彼らの屍を超えて生きる私たちの新しい課題は、その上にどんな課題を見出し解決するかです。
それをいかにして次の世代の糧として受け継ぐかです。

おわかりでしょうか。
世代に共通した一定の価値観というものは、わたしたちが「人類」という単位で共同して生きていくための軸なのです。
言うなれば共通の敵なのです。

敵の敵は味方」という言葉がありますよね。
わたしたちは共通の敵を前にすると協力できる性質を持っています。
それは時に戦争や差別の温床になりますが、正しく使えば次世代をそだてる土壌になります。

すくなくとも、価値観を軸に協力したときに、わたしたちが誤ったことはありません。
「生きがい」という敵との戦い方を共有しましょう。


【わたしたちの課題は何だろうか?】

「存在意義」とか「生きがい」と言われても、その価値観の持ち主である私たちにすら、それが何なのか?という点についてはおぼろげです。

とはいえ、先にも述べましたが、
「生きがいとは、要するに時間の使い方である」
という考え方で説明が付くと思います。

どんな行動を起こし、何を感じ取るにしても、そこには必ず時間の流れがあります。
わたしたちの体感は時間に裏打ちされてしか存在できません。
であれば、生きがいという体感も時間の流れを無視して定義できません。

わたしたちは、時間を有意義に使うことができた時、そこに生きている甲斐を見出せるのです。
つまり、「存在意義」「生きがい」を価値観に選んで生まれてきた私たちの課題は、
「いかにして有意義な時間を過ごすか?」です。

敵を知った次は、己を知りましょう。


【「お金×人間関係」で私たちの時間は輝きを増す】

わたしたちは、どんな時間の過ごし方が達成されたとき、生きがいを感じることができるのでしょうか。
この答えは冒頭にも書いた通りですね。
「他者への貢献」が答えになります。

これは科学的にも明らかになっていることでして、結局のところ、どんな人物でも社会集団への「参加と貢献の感覚」が幸福感の裏付けになります。

そして、この「参加と貢献の感覚」を得るためにも以下の3つのものが必ず必要になります。

・人間関係
・お金
・時間

それぞれ解説します。


【人間関係】

これはもはや解説不要かもしれませんね。

社会というのはそもそも人間がいて、彼らが相互に関係していないと成り立ちませんよね。
ということは、社会への参加は人間関係の構築によってのみ成り立ちます。

もちろん、単に参加するだけでは足りません。
他者に喜ばれるような形で社会における役割を持っていなければ、自分にとっても喜びに欠けてしまいますからね。

ボランティアをやってる人をイメージすればわかりやすいかと思います。
彼らは口では「困ってる人の笑顔のため」と言いますが、もっと根本的なレベルまでさかのぼると、結局はボランティア活動者自身が「困ってる人の笑顔を見るとうれしいから」ですよね。

ボランティア活動に積極的に従事する人々の生き生きとした姿からわかる通り、他人が喜ぶ形での社会への参加は、明らかに自分自身の喜びに繋がります。

わかりやすい例としてボランティアを挙げただけで、お金を取っていても人から感謝されてる人物や組織はたくさんありますからね。


【お金】

前の項目の最後に「お金を取って感謝されている人がいる」と言いましたね。
成長している企業や確固たる地位を築いてる大企業、地域に根差した個人事業主など、わたしたちの身近に当たり前にそういう存在はあります。

そもそも、資本主義という仕組みは、人の役に立つことをしている人物や組織が評価されて、その結果としてお金が集まってくるという構造をしています。
ですから、貢献的な社会参加ができていれば、お金は半ば自動的に集まると考えて間違いありません。

この点が理解できると、わたしたちが置かれている資本主義社会では、

・貢献的であるという意味での良好な人間関係
・社会貢献のお礼として帰ってくるお金

この2つは表裏一体の対応関係にあることに気付けます。

そして、次の項目で解説する「時間」についても、質の伴ったものであるためには「人間関係&お金」と連動関係にあります。


【時間】

資本主義社会で成功を収めている人々が、一朝一夕の努力でその成果を出したわけではないことは、誰もがわかっている事実かと思います。
つまり、貢献的な参加ができていることの証拠・いわば答え合わせとしてのお金を得るためには、相応のスキルが必要なわけです。

ここでの「時間」とは、そのような誰かの役に立つ成果に繋がるスキルを習得するための時間のことになります。

つまるところ、生きがいの伴った時間の使い方とは、誰かのためになるためにスキルを磨くことに他なりません。
今すぐに成果になるような

プログラミングのように「稼げるスキル」と言われるスキルは、それだけ世の中の需要があるということです。
需要があるということは、そのスキルは誰かの役に立つ確率が高いということですから、いわゆる「稼げるスキル」と呼ばれるものを身に付ける取り組みは、人間関係にもお金にもプラスになります。

そして、スキルは習慣化された努力があってこそ身に付くものですから、相応の時間が必要になるわけです。


ファイナンスを超えて職業へ】

ここまで生きがいのための3つの要件を解説してきましたね。

・人間関係
・お金
・時間

を満たしたスキル習得の努力や習慣を通じて、わたしたちは仕事には2種類あることを知ります。
「自分が生きるためのお金稼ぎ」と「他人を生かし活かすためのお金稼ぎ」です。

ここで先に述べたベンジャミン・フランクリンフランクリンの言葉である
「食べるために生きるな。生きるために食べよ」
を思い出してほしいと思います。

これをお金稼ぎの文脈で言い換えると、
「生きるために稼ぐな。稼ぐために生きよ」
とすることができます。

ここでの「稼ぐために生きる」とは、ここまでの内容を踏まえれば「貢献的な社会参加のために生きる」ということになります。


〈2段階の時間〉

ところで、スキル習得のために使っている時間というのは、座学のような形を取ることが多い一方で、特定の会社に所属して、働きながら職場でスキル習得する場合もあるかと思います。
というよりも、時代の変化があまりにも早いために、今の学びが今しか役に立たない状況ですから、実践そのものを学びとする方が効率的かつ建設的です。

このような形で学んでいる期間というのは、主体的に貢献活動をしているというよりは、既にでき上がっている貢献の仕組みを維持するための働き方であり、自分自身が貢献してお金を稼いでる状況とは違います。

この期間というのは、あくまでも「仕事の時間」であり、「貢献的な社会参加の時間」とは区別できることがわかります。

この期間を卒業して生きがいの伴った時間を過ごせるようになると、それは単なる「仕事」から「職業」と呼べるものに昇華されます。


〈仕事はファイナンス活動と職業に分けられる〉

社会への参加には、他人の貢献活動を補助するやり方と、自分なりの貢献活動を行うやり方との2つがあることがわかったかと思います。

前者の「他人の貢献活動を補助するやり方」を、わたしたちは主に就職という形で実現します。
これは生活費を稼ぐための活動であるわけですから、便宜的にファイナンス活動と言い換えられます。

他方、後者の「自分なりの貢献活動を行うやり方」については、これまで起業などの形でしか実現できませんでした。
ボランティアなどもあるにはありますが、生活費に困ってしまいますよね。
これがお金も付いてくる形で実践されるようになった場合、これを職業と呼ぶことにしましょう。

この「職業」ができている状態になると、人間関係とお金・時間の3つが同時に手に入ります。

みなさんにはぜひともこの段階を目指してほしいですし、わたしもそのために精進の日々を送っています。


【発信こそ誰もができる職業】

今はわざわざ企業などしなくても、インターネットを通じた活動を通して、誰もが貢献的な活動を容易に実現できるようになっています。

それが「発信する」ということです。

わたしたちは、自分の視点や考えを発信することで、他者に喜びを与えることができる時代に生きています。
SNSで個人に大勢のフォロワーが付く理由は、彼らがその人物の人となりや生き様を知りたがっているからですよね。
それを知ることに喜びを感じているし、自分の人生がより良くなる発想を手にすることができると信じているからですよね。

SNSだけではありません。
ブログやYouTubeもあれば、このnoteだってそのような目的が実現可能なメディアのひとつに位置付けられるでしょう。

また、発信をしていくことは、同じ志を持った同志と呼べる人々との出会いすらももたらします。
生きがいに不可欠な人間関係も手にすることができるわけです。

さまざまな媒体を通じて、可能な限り多くの人々に私たちの意思表明をしていくことが、今を生きる私たちの価値観が必要としている「生きがいの攻略法」と言えるのではないでしょうか。

良質な発信を通じた貢献活動こそが、

・誰でも出来て
・人間関係も手に入る
・社会への参加と貢献も実現される
・伝えるスキルも伸びていく時間を過ごせる

時代が求める「リッチ」の条件を満たすための最良の選択ではないでしょうか。

転職・就職するなら「伸びている業界の小規模企業」が狙い目。

就職先・転職先でお悩みのあなたに、わたしはあえて

・小規模
・スタートアップ
・伸びてる業界
・転職推奨

の4要因を満たした企業を強くオススメします。

この4つの条件を満たした企業に身を置くことで、あなたの将来的な人材価値は間違いなく高まります。
将来的に独立・起業しようと考えているあなたも、これを知っておけば、望みにつながる確実な選択ができるようになるでしょう。

結論から言いますと、「若くて小さな伸びてる業界」の会社で働けば、

・ビジネスの全容が見える。
・成長だけを考えられる。
・当事者意識が芽生える。

という3つのメリットがあります。

それぞれについて、詳しく解説しましょう。


【小さな会社が幸福感を加速させる】

終身雇用があたりまえの時代が過ぎたと言われ始めて久しい今日この頃ですが、だからと言って、会社選びをいいかげんに済ませてしまえば、そこで働く時間は無駄になってしまいます。

成長が無いというのはプラマイゼロではけっしてありません。
考えてみてください。
あなたが身にならない仕事にいそしんでいる間にも、ちゃんと将来の自分の人材価値を考えて、適切な企業で働きながら修行を積んでる人々がいます。
彼らとの競争が未来に待ち受けるのであれば、なにも手にすることのない時間は明らかなマイナスです。

自分が変わらなくても世界は勝手に変わる。だから、変わらないでいることは「変えられてしまうこと」という話です。

どうせならば、将来の自分の人材価値を高めてくれる職場でツメを研ぐ時間の過ごし方をしましょう。
そのために就職先の企業が満たすべきが要因が、

・ビジネスの全容が見える。
・成長だけを考えられる。
・当事者意識が芽生える。

の3つなのです。

これら3つの要因があなたの将来性にどんな付加価値をもたらすのか?
その実態を解説していきます。


〈ビジネスの全容が見える〉

・ビジネスの全容が見える。
これはどういうことでしょうか。

従業員数の少ない小さな会社に勤めると、あなたはそのビジネスの全体に関わっていくことになりますよね。
これが間違いなくあなたの将来を守る糧になります。

考えてみてください。
終身雇用の時代が終わったことは、「いつかは自分で稼げるようにならねばならない」ことの裏返しです。
であれば、あなたがこれから働く会社は、あなたが一人でも食べていけるような素養を身に付けられる場である必要がある、と考えられませんか?

小さな会社でビジネスのさまざまな側面を体験する機会を得ることであなたには以下のような素養が手に入ります。

・ビジネスの全容がわかって起業のベースが整う。
・立場的に次に来るものが見えやすい。

言うまでもなく、ビジネスの全容がつかめれば、自分が企業をして事業者になるときに有利ですよね。
最低限どんな体制が必要なのか経験的に理解していることは、自分のビジネスを立ち上げる時に、やりたいことだけに集中して、わざわざ新しく学ぶ必要性を省けるコンディションを整えます。

また、小規模なのに存続できている企業というのは、業界それ自体が成長しているから、生き残っているわけですよね。
とすれば、そのような企業で働いているあなたは、ビジネスのトレンドを肌で感じ、学びとることができているはずです。
トレンドが掴めていれば、こちらも自分の事業を立ち上げる時に「どの業界でどんな商品サービスを提供すればいいか?」が適切に判断できます。

という具合に、小さくて強い会社を選ぶことは、将来を繋いでいく2つのスキルを同時にもたらします。
一石二鳥ですよね。
時代の流れ的に、この条件に当てはまらない会社を選ぶ理由はどこにもないでしょう。

スタートアップの企業で働ければ、ビジネスの成長過程すらも間近で体感することができます。
ですから、小規模でさらにはスタートアップでもある。
というのが最良の選択と言えるでしょう。


〈成長だけを考えられる〉

・成長だけを考えられる。
次はこの点についての解説です。

これはあなたが就業する企業が置かれた「業界そのもの」の性質と密接にかかわる部分になるので、少々大きな視点が必要になります。

わたしたちは基本的には「競争原理」が働いている資本主義社会の住人として日々の生活を送っています。
この競争原理が働くときには、その性質が大きくふたつに分けられることをご存じでしょうか。
それが、

ゼロサムゲーム
・プラスサムゲーム

と呼ばれる状態です。


〈有限のパイを取り合うのがゼロサムゲーム〉

前者の「ゼロサムゲーム」については、多くの人が受験生だったころによく耳にしたことかと思います。
ゼロサムゲームとは、競争の参加者みんなが一定量の増えも減りもしないリソースに群がって、互いを蹴落としながらこれを取り合うような構造をしている状態のことを指します。

受験戦争はその典型例ですよね。
受験生たちは決して増えることも減ることもない「合格枠という有限のリソース」を必死で取り合います。

この時、わたしたちは自覚的であれ無自覚的であれ、同じ受験戦争というゲームの参加者を蹴落とすことで合格枠を勝ち取ります。

そして、華々しい合格体験の裏側で、わたしたちは恐ろしい心理に芽生えます。
それが「世界は他人を蹴落とすことでしか生きていけない」という感覚です。
ここまではっきりしたものではなかったとしても、皆さんの多くが競争する社会のありさまを当たり前のものとして受け入れてしまっているかと思います。


〈パイのサイズそのものを育てていくのがプラスサムゲーム〉

しかし一方で、世の中には「競争しない競争」とでもいうべき生存戦略だってちゃんと存在します。
それがプラスサムゲームです。

例えば、株式投資という活動はプラスサムゲームの代表的な例のひとつです。
株式投資では、大勢の投資家たちがみんなで一つの企業の成長を応援するために、「株を買う」という形で一か所に資源を投げ込みます。
すると、経営を行っていくための十分な資金を手にした企業は、その養分を存分に吸い上げて大きく成長します。
すると、植物が果実を実らせるように、最後は「配当金」という形で出資してくれた投資家のみなさんにお返しをします。

つまり、最初に投資家たちが投げ込んだ資源が、全体としてより大きな規模に育つことで、そこに出資したみんなが一緒に利益に預かっているわけです。

伸びている業界にある企業にも、これと同じことが言えます。
例えば、新しいサービスを日々提供しているエンジニア業界というのは、今日における伸びている業界のひとつかと思います。
彼らは常に競合他社とは違うサービスの提供を考えながら日々の活動を行っているはずです。

さて。この時、エンジニア業界では競争原理が働いているでしょうか?
結論を言えば、完全に働いてないとは言えませんが、飲食業界などと比べればささいなものでしょう。

大半の人々は一日三食しか食べませんし、胃の容量も無限大ではありません。
飲食業界の人々というのは、「人口×胃の容量=~リットル」という決まりきったリソースを互いに取り合うライバル関係です。
彼らにとっての成功とは、同じ業界の競合他社を蹴落とすことに他なりません。

一方で、伸びている業界というのは、言い換えるとまだまだお客さんを取り合うほどには商品サービスが普及していない業界です。
このような業界では、競合他社を蹴落とさなくても、新しいお客さんを開拓していったりサービス内容を改善したり、まだまだ伸びしろが残っているわけです。
蹴落とすことに気を取られずに、自らのツメを研いでいくことに集中できます。


〈心に余裕のある人物になるためにも、プラスサムゲームのプレイヤーたれ〉

結局のところ「人は環境の子」です。

ゼロサムゲームが当たり前になってる頭打ちの業界で働けば、環境にそまったあなたは、きっと自分が成長するよりも他人を引きずり下ろすことに腐心する人間になってしまいます。
他人を蹴落とすことばかりを考えるさもしい人間になってしまいます。

これでは自分も他人も幸せとは程遠いのは言うまでもありません。
頭打ちの業界にも今までとは違った成長の方向が見つかるかもしれません。
一方で、それは確率的にはあまり期待できるものではないのも事実でしょう。
であれば、最初から伸びしろがはっきり見えてる業界を選択することが賢明ではないでしょうか。

よほどの熱意がない限り、そこはあなたの居場所になりません。


ゼロサムゲームを応援したがる人はいません〉

そもそも、資本主義社会は人の役に立つことをしている人や組織が信用されて、その結果としてお金が集まってくる仕組みです。
要するに、誰も応援したくならないようなスタンスの人物や企業のもとにはお金が集まってきません。

これはつまり、ゼロサムゲームに囚われてる業種というのは、

・顧客の分母に限りがある。

だけではなく、

心理的に誰も応援したくならない。

という点にも大きな問題を抱えているところに「限界」がある、ということを表しています。

あなたも同じなのではないですか?
フィギュアスケートの大会を観るとき、自分がいかに優れた技巧を持っているかを審査員にアピールして、他の選手を出し抜こうとしてる選手よりも、純粋に自分の良さに磨きをかけることに時間を使ってる選手の方が好感が持てるものでしょう。
感情の生き物である人間のいとなみである以上は、ビジネスだって同じなのです。

他人を蹴落とすうしろめたさを乗り越えて手にした成功よりも、仲間と喜びを分かち合えるような成功を目指しませんか?
そんな理想的な成功のなかで生きていくには、停滞している業界に就職してはいけません。
学生時代に受けた「競争社会洗脳」からはもう抜け出しましょう。


〈当事者意識が芽生える〉

・当事者意識が芽生える。
最後は仕事をする上でもっとも大切な「幸福感」にもつながってくるお話です。

先ほどの「成長だけ考えられる」ともつながることなのですが、競合他社をどうにかして出し抜いてやろうと考えることから解放される分だけ、自分の仕事は自分の責任下にあるという感覚が強まります。

心理学的にもわかっていることなのですが、人は自分の取り組みを自分でコントロールできている感覚が伴う時、満足感と幸福感を覚える生き物です。

逆に、自分の取り組みが外界の要因に左右されてしまっている状況では、無力感のために満足も幸福感も得られません。

私たちのストレス要因でもっとも大きなものは、「コントロール感の欠如」なのです。

このことを考えた時、伸び代のないゼロサムゲーム業界はどうでしょうか?
お客さんを取り合う関係のるつぼにいるわけですから、とてもではありませんが、自分の力でなんとかできる気はしないでしょう。

他方、伸びているプラスサムゲームの業界では、業績が上がらない理由はおよそ常に「自分の成長不足」に帰属されます。
自分さえ成長できれば状況は変えられる!
という確信は、間違いなく当事者意識と状況のコントロール感をもたらすでしょう。
そうなれば、日々の仕事に必要以上のストレスを感じながら生きることはなくなります。
明日のあなたは今日より成長してるはずなのですから。


【副業OKの会社】

そもそも、今時、副業を禁止している会社などあるのか?
と言いたくなるところですが、残念ながらまだまだ副業禁止企業は少なくないようです。

彼らは何のために副業禁止を掲げるのでしょうか?
どこの企業でも共通していることは「人材の囲い込み」かと思います。

しかし、これからの時代を企業が生き抜いていくためには、時代の流れを敏感に感じ取るだけのアンテナの役割をする人材が不可欠だと言えます。
時代の変化において行かれるのは、個人だけでなく組織だって同じです。
いつまでも同じことしかできない従業員を抱えていることは、技術の流出よりも「古いやり方への固執」を生み出すだけです。

副業を解禁するだけで、この問題が解決します。
副業をする従業員はこことは違った環境で新しい視点を手にして帰ってきますから、本業企業の課題を見つけ出すことにも役立ってくれるかもしれません。
「かわいい子には旅をさせよ」
というのに似ているかもしれません。

副業を禁じる企業というのは、鎖国時代の日本みたいなもので、自ら置いてけぼりになることを選んでいるも同然です。
そんな企業に将来性はありません。
あなたを使うだけ使い潰して倒産するのがオチです。

外で新しいスキルを身に付けて人材価値を高めることもできませんから、再就職も難しくなってしまいます。
人生100年時代」とも言われる時代です。
学びが快く受け入れてもらえる環境だけが、あなたの未来を繋いでいきます。

副業禁止の会社は視野から「即除外」しましょう。


【転職前提の就職は、ちゃんと双方に利があります】

ところで、ここまで解説してきたスタンスでの就職や転職は、言わば「辞める前提の就職・転職」になるわけですが、果たしてここに問題はないのでしょうか?

結論から言えば、全く問題ありません。

考えてみてください。
終身雇用の時代が終わったことは政治家も認めているところです。
一企業がどうにかできる問題ではありません。

とすれば、賢明な企業であれば、ひとりの人材にいつまでも寄りかかり続ける経営方針を選ぶでしょうか?
答えはNOですよね。
だいたい、ひとりのカリスマに頼ってるような組織は、あたかもジェンガのように、その人がいなくなっただけで簡単に瓦解してしまいます。
賢明な企業が特定の人材に頼るような方針を選ぶことはありません。

そもそも、
「将来独立するためにビジネスの全容を学びに来ました!」
という人と、
「安定した生活のために養ってもらいに来ました」
という人では、どう考えても前者の人を採用したくなりますよね。

気持ちの問題だけじゃありません。
自分でビジネスをやるような主体性のある人なら、自社が抱える課題を解決してくれそうではありませんかね?
将来独立しようとしてる人物なら、ただ漫然と働いている従業員とは違った、新しい視点を提供してくれそうですよね。

こうした観点から言って、優秀な経営者や人事担当者ならば、独立を考えてることを伝えたところで、それがマイナス評価になることはまずありません。
むしろプラス査定です。
そんな理由で不採用を突きつけてくる会社ならば、あなたの方から願い下げをかましてやりましょう。
そこにあなたの未来はないのですから。


【今日のまとめ】

・終身雇用の時代は終わりました。
大企業に安定を求めるよりも、小さな会社にビジネスの全体像を学びに行きましょう。
それがあなたの幸福感と健全な人間性を支えます。
仲間と分かち合える成功体験をめざしましょう。

・副業禁止はあなたにも組織にも何一つもたらすものがありません。
「百害あって一利なし」の典型です。
何もしないことはプラマイゼロではありません。
周囲の成長があなたとあなたが身を置く組織とを置いてけぼりにします。

・これからの就職活動は転職を見越しましょう。
次の時代になにが「来る」かは不透明な時代ですから、フットワークの軽さを保ち続けることが大切です。
転職や企業の未来を見ているあなたを拒絶する会社は、どの道社会が見放します。


〈最後に〉

自分の人生を生きられる人物であり続けるためにも、会社選びは自己投資のひとつだと心得ましょう。
あなたが賢明な選択で自分と家族の未来を守っていけることを、心よりお祈りいたします。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

皆さんの就職活動・転職活動が実りのあるものになりますように。

英語学習の本当の目的は「異文化理解」にあり。

【あなたは何のために英語を勉強してますか?】

昨今、英語を学ぶべきだとはよく言われますが、そもそも私たちはなんのために英語を学ぶのでしょうか。
誰もこの質問に答えてくれないために、英語学習そのものよりも、
「何で自分は英語をやってるんだろう?」
という疑問と日々向き合っている人も少なくないはずです。

これでは勉強に身が入りませんね。
もしかすると、あなたもそんな1人かもしれません。

ですが、これはごく自然な状況だと言えます。
他の科目でもそうですが、そもそも英語を教わる中で、

「何のためなのか?」
「どこが目的地なのか?」

を私たちの多くは教えてもらっていないのですから。

 その結果、「目的もないのに英語を学んでいる自分」でいるのが辛くなってきます。
「学ばされている」と言ってもいいかもしれません。
義務になった学びほどつまらないものはないですよね。

こうなってしまうと、人間には「無目的なのに行動してる」という認知と行動とのギャップを埋めようとする心理が働きます。

この人間心理を上手に煽ってくるのが、巷のTOEICビジネスや英会話スクールビジネスの回し者たちです。
彼らは、あなたに欠けているピースである「目的」が入るべき穴を狙って、あなたの代わりの仮初めの「目的ピース」を用意してくれます。
それが「TOEIC高得点!」とか「外国人と友達に!」などの甘いささやきです。
一言で「不安煽りビジネス」と言えるでしょう。

 彼らの指導力は確かに本物かもしれませんが、自分が英語を使って何をしたいのかもわからないままでは、参考書やスクールに払うお金は何の自己投資にもなりません。

なにも利用先がなく、それゆえに芽が出ない投資はただの浪費です。
近所のスーパーでジャンクフードを買い漁ってる状態と大差ないでしょう。

目的は自分で設定することが大切です。
かけがえのないあなたの人生を、どこの馬の骨とも知れない他人に乗っ取らせないでください。
英語を学ぶことが半ば「あたりまえ」となっている現状だからこそ、自分オリジナルの目的を持っていることが、他者に抜きんでる足掛かりになるのです。

そんなわけで、今回は「そもそも私達は何のために英語を学ぶのか?」という疑問に、私が一定の答えを出そうと思います。

勉強法などと同じで、具体的な形は人それぞれであれども、どんな学習目的にも共通した、「英語学習の原則・大前提」と言える部分をわたしと一緒に理解しましょう。


【英語に限らない外国語学習のゴールは「異文化理解」にあり】

 英語に限らず、言語学習の目的は、

・その言語が使われてる国の「お国柄」で決まる部分。
・学習者に固有の条件に結びついた部分。

の2つから決まると言えます。
この内、「お国柄」の方を英語の場合で考えてみましょう。


 〈アメリカのお国柄は「科学技術大国」であること〉

英語はもともとイギリスの公用語ですが、日本人を含めて、世界で学ばれる英語のほとんどはアメリカ英語です。
少なくとも、アメリカ人の考え方を知る窓口として学ばれている背景が大いにあると言えます。

さて、皆さんにとってのアメリカ合衆国はどんなイメージで描かれるでしょうか?
自身がどう関わっているかによってその答えは十人十色の様相を見せるのでしょう。
一方で、確実に言えることがひとつあります。
アメリカ合衆国が世界でも屈指の「科学技術大国」であるという事実です。

実際問題、学校教育でわたしたちが学ばされてる英語の目的は、学術的な素養へのアクセスにあると言えます。
例えば、『金持ち父さん貧乏父さん』では、経済活動の参加者を以下の4つに大別しています。

・労働者
・専門家
・実業家
・投資家

そして、学校教育が育成している人材というのは、この内の上2つ。
労働者と専門家にあたります。

これは、自分が受けた教育を思い出せばすぐにわかるかと思います。
少なくとも、私たちの多くに「学校でお金の授業を受けた記憶」はないはずです。

逆に、学校という箱庭そのものに身を置くことで、組織立った行動を守ることを身に付けさせられたでしょう。
また、偉大な先人達が発掘した科学的発見の数々を頭に叩き込まれたでしょう。

これらは明らかに、企業組織の一員として右に倣えの行動をする人材を作るためのものであるか、先人の知恵の上にさらなる発見を積み上げるための土台づくりですよね。
要するに、労働者 or 専門家の育成です。

であれば、学校で習う科目である以上は、英語についても同じ目的でカリキュラムに組み込まれているはずです。
そこでヒントになるのが、アメリカは基礎研究の先駆的なお国柄を持っているという事実です。
よって、わたしたちは英語を学ぶことで、アメリカ発の最新の知見をいち早く取り入れるための土台作りをさせられていると結論付けることができるのです。

要するに、わたしたちが英語を学ぶ「事実上の目的」として必ずついてくるものが、
「科学的思考を身に付けること」であり、
「それを通じて現代の科学的知見を理解すること」である。
ということになるのです。


〈結局は異文化理解力が試されている〉

さて、ここまで考えてみると、英語に限らず、
「語学学習の目的は、その言語を公用語としてる集団が社会に対して果たしてる役割と切り離せない」
という側面に気付けるかと思います。

これをもっと簡単に言うなら、
「英語使用者はどんな形で社会に参加しているのか?どんな社会貢献をしてるのか?」
という観点と、私たちが英語を身に付ける目的とは切っても切り離せないということです。

つまるところ、ある言語をわたしたちがものにすることで身に付く素養は、
「その言語圏を生きる人たちの思考回路のインストール」
と言えるのです。

彼らと同じ考えを共有し、同じ行動理念にそって生きる。
それが実現されるわけですから、外国語学習の究極の目的は、やはり異文化理解なのです。


【そもそも、アメリカは多民族国家です】

もっと根本的なレベルに立ち返ると、アメリカ合衆国が「多民族国家」であるという視点は外せないでしょう。
民族や宗教が異なれば人は争わずにはいられないものです。
それは彼らが行ってきた数々の戦争の歴史が傍証になりましょう。

数々の戦争で人命を失い奪ってきたアメリカですが、そのおかげで育った「お国柄」は無視できません。
それが「アメリカは論理を重んじる」という点です。
アメリカが「合衆国」として、そして多民族国家として今までやってこれたのは、一重に「論理」のおかげと言えます。

アメリカは多民族国家であるが故に、バックボーンの異なる多くの人々の共通の約束事となるパラダイムを必要としました。
そこで役に立ったのが「論理」です。

論理というものは数学がそうであるように、決まった前提条件と手続きさえ踏めば、誰がやっても同じ答えが出るようにできています。
バックボーンの異なる人々のコミニュケーションにとってこれほど都合の良いものはありません。
ですから、英語は「論理の言葉」としての歴史を持っている言語なのです。

であれば、英語を学ぶにあたって「英語を使えるようになる」だけでは片手落ちだと言えましょう。「論理を語る言葉」として運用できてこその英語ではないでしょうか。

実際、日本語と英語とを比べると、日本語の表現には「意味するところが曖昧なものが多い」と言われることがよくありますよね。
それは、こうした歴史&文化的な事情から生まれた必然なのでしょう。
日本は島国であり、歴史的に見れば近年まで近場の国々としか交流を持ってこなかった国家です。
そんな閉鎖的な土壌で育った言葉ですから、日本語の背景に「言わなくてもわかるだろう」という空気があることも、また必然的です。

そして、アメリカでは科学的な研究が盛んに行われていて、それが論文という論理構成重視の文章で発信されています。
ですから、やはり「英語と論理と」は切っても切り離せない関係にあると言えます。


【それでも学習者は自分だけの目的を持ちましょう】

英語を学ぶ事実上の目的にそったゴール設定だけでもいいのですが、それではあなたの人材価値は十把一絡げに終わってしまいます。

資格制のスキルと同じで、だれもが必要性を知っているスキルは、必ず社会にあふれかえってきます。
例えば、就職活動を有利に進めるためにさまざまな資格を取得する人がいますが、あるデータによると、実際に就職活動で有利に働いていることが統計的に証明できたものは、TOEICテストの点数だけだったそうです。

このTOEICテストの結果の優位性にしても、近い将来は「だれでも持っているライセンス」に落ちこぼれていくでしょう。

しかし、そんな中でも英語スキルが活き続ける方法はあります。
別のスキルとの掛け算を使えばいいのです。

例えば、近頃エンジニアと呼ばれる職種に需要があるお陰で、プログラミングスキルの習得が流行っています。
しかし、流行ってしまっているからこそ、やはりプログラミングができだけはあまり人材価値は高まりません。
一方で、デザインやマーケティングスキルなども持っていて、ウェブページを作るにあたって、ページの見やすさや使いやすさ、広告の置き方などまで広く考えて設計できる人材であれば、複数のスキルの掛け算が働きますから、そう簡単に仕事にあぶれることはありません。

英語についても同じことが言えます。
英語ができることは、あくまでも「スタートライン」です。
「英語でなにができるのか?」まで語ることができてこそ、あなたは英語と価値のある付き合いを続けていけます。

近年であれば、海外のおもしろい最新情報を日本語に翻訳していち早く人々に伝えることで、SNSを通じたマーケティングに成功している人などが典型的でしょう。
彼らの場合であれば、「英語力と情報感度」の掛け算で人材価値を高めているわけです。

あなたがどんなオリジナルの目的意識を英語の中に見出すかはわかりませんが、これだけは確実に言えます。
何でもいいから、自分なりの目的をもって学習に励んでください。


【翻訳マシンがどんなに発達しても、英語を学ぶ意義は損なわれない】

少々はなしが変わりますが、翻訳用のAIが発達するにつれて、
「英語なんてできなくても翻訳で理解できてしまうのだから、わざわざ生身の人間が外国語を身につけても無意味では?」
という疑問をお持ちの方もいるかと思います。

はっきり言いましょう。
翻訳マシンがどんなに進化しても、人間が外国語を学ぶことには、侵されがたく掛け替えのない意義があります。

それが、本記事のタイトルでもある、外国語を学ぶことによる「異文化理解」という機能です。

どんなに優れた翻訳を読んだり聴いたりできたところで、結局のところ、そこで語られたコンテンツが生み出された背景というものは、自分がその言語の話者になることでしか体感できません。

言葉以外であってもそうですよね。
知っているのとやっているのとでは、実際に受ける印象に大きな差があることは、誰だって経験的に理解していることでしょう。

英語を学び、自分自身が英語を使いこなせるようになることでしか見えない世界があります。
逆に、日本語話者であるわたしたちが言葉を使って切り出す世界観は、英語を母語とする人々の認識には切り出せないものです。

このように、「新しい視点の獲得」にこそ外国語学習の本質的な意義が隠れているということに気付くと、わたしたち生身の人間の性能には、マシンにはカバーしきれない領域がまだまだ残っていることを実感できます。

わたし自身、今後とも英語学習とは末永く付き合っていく予定でいます。
あなたも、外国語と生涯の友人になる決意をしてみてはいかがでしょうか。

フリーランスと塾講師のアルバイトはめちゃくちゃ相性がいい。

【アルバイトは社会的な信用の担保に使える】

私自身はまったくそうは思わないのですが、世の中的にフリーランスは経済的な意味で信用できない存在です。
だから、クレジットカードを作ったり保険加入したりするにあたって、会社員をやってる人よりいくらかハードルが上がってしまいがちです。

一方で、アルバイト程度でもやっている人ならば、フリーランスの人より圧倒的に収入が低い場合であっても、なぜか経済面における社会的な信用が上だったりします。
よくわからない世の中ですね。

とはいえ、そういう風になっている以上は文句を言っても仕方がないのもまた事実です。
フリーランスになろうとしていたり、フリーランスになりたてだったりする人には、この現実を乗り越えるための一定の準備が必要だと言えるでしょう。

具体的には、何かしらアルバイトをすればいいのです。
先ほど述べた「アルバイト程度でもやっていれば、なぜか社会的信用が上がる」
という現実が大きなヒントですよね。

であれば、フリーランスをやっていくうえで、決して邪魔にならないか、できればプラスに働くアルバイトを選びたいところです。
そこで私がオススメするのが「塾講師のアルバイト」になります。

あくまでもクレジットカード契約や保険契約のためのものなので、その時だけのバイト契約でも問題ないという部分が味噌です。
止めたくなったら辞めればいいし、肌に合うようだったら続ければいい。
その程度の気軽さで始めればいいかと思います。

わたしが塾講師バイトを勧める理由は、
・シフトに融通が利く。
・身に付くスキルが無駄にならない。
・時給が高い。
・いつでも辞められる。
・需要がなくなりにくい。
などに集約されます。

それぞれの項目について、詳しく解説していきます。


【シフトにかなり融通が利く】

そもそも、わたしたちがフリーランスになる理由には、
・時間に縛られたくない。
長時間労働から解放されたい。
・わざわざ出勤したくない。
などがあると思います。

とすると、いかにアルバイトとは言えども、長時間労働を強いられたり出勤日数が多かったり、職場が遠くにあったりという状態には問題があると言えます。
この点を考えた時、塾講師はこれらをクリアした働き方が選べる確率が比較的高い方だと言えます。


〈シフト自由〉

塾講師のアルバイトをやっている人たちの多くは現役の大学生であり、日ごろから学業やサークル活動・就職活動などに忙しくしている場合が多いものです。
そんな彼らの希望に可能な限り応える風土が育っているため、塾講師は希望通りのシフトを組んでもらえる場合が多いです。
わたし自身、大学を卒業した後から塾講師をやっていたことがありますが、たとえ学生の身分でなかったとしても、バッチリこの恩恵にあずかることができていました。
ですので、自分が学生でないことはあまり気にしなくていいと思います。

それに、ここだけの話ですが、塾の管理者である塾長(スーパーで言うところの店長)は普段から「社会経験の少ない弱気な学生」ばかり相手にしてますから、こちらが強気に出れば、結構簡単に希望が押し通せるものです(笑)。


〈コマ単位でシフトが組まれるから、一日当たりの労働時間もコントロールしやすい〉

また、一日当たりの出勤時間は、
「一コマ90分×3コマ=270分」
などのように、一日の中でも細かく設定できるため、自分なりの「ちょうどいい就業時間」どおりのシフトをデザインしやすいと言えます。

なによりも強調したいのは、残業が絶対にないという点です。
塾講師が相手にするのは未成年ですから、彼らを時間どおりに家に帰すのは義務です。
そして、生徒がいないと仕事になりませんから、夜遅くまで残業するような状況は起こり得ないのです。

最後のコマを担当するのでなくても、この点は同じです。
ひとつのコマが終われば、その生徒は次の授業(コマ)の準備をしなければなりませんから、生徒に合わせて授業が伸びることもありません。
講師側も次の担当授業がありますから、前の授業の生徒に付き合ってる暇はありません。

これらの理由により、まず残業がないのが塾講師のアルバイトなのです。


【それぞれで学べるスキルが無駄にならない】

〈伝えるための言語力〉

とはいえ、どんなに時間に融通が利いたとしても、役に立たないスキルばかり身に付いても無駄ですよね。
人生から無駄を省きたくてフリーランスを希望している方ならなおさらです。
この点でも塾講師バイトは他のアルバイトに一歩抜きんでている言えます。

フリーランスとして個人で生きていくには、対面にしろメッセージでのやり取りにしろ、必ずと言っていいほど「言語の運用能力」が要求されることと思います。
講師として生徒に勉強を教えるプロセスでは、間違いなく言語の運用能力が要求されます。
「どう説明すればわかってもらえるのか?」
「どんな言葉遣いが届きやすいのか?」
などを考えさせられ、それこそ試行錯誤の連続です。
これがあなたの言語運用力を高めないわけがありません。


〈リーディングのための英語力〉

それに、塾講師バイトの多くは必ずと言っていいほど、数学と英語の二つができていることを要求されます。

塾講師になるための数学の勉強は、論理的な思考力を鍛えます。
文章を書くタイプの働き方でフリーランスを目指すにあたって、この技能は決して無駄になりませんよね。

英語力が要求されることも重要なポイントです。
学校で教えられている英語がリーディングに特化しているために、塾講師もリーディングさえできれば英語を担当することができる場合が多いのですが、このリーディング英語が情報発信をするのに役立ちます。

最新情報の多くは英語ベースで世界に伝えられるものです。
英語が読めれば、他の人よりもはやく最新情報にアクセスすることが可能になります。
日本人の多くが英語に苦手意識をもっている現状では、これを簡単にかみ砕いて日本語で伝えるだけでも、SNSでかなりのフォロワー集めができるはずです。

また、タピオカの流行の仕方などからもわかるように、アメリカで流行ったものが遅れて日本国内でも流行りだすということは少なくありませんから、トレンドを先取りした情報発信をすることにもつながると言えます。


【単純に稼ぎがいい】

みなさんの多くが気になるのは、やはり給料のよしあしではないですかね。

結論から申し上げますと、
・どこの大学の学生なのか?
・どこの大学を出ているのか?
・どの教科を教えられるのか?
などの要因に左右されるところではありますが、塾講師は基本的に高時給です。
少なくとも、コンビニやレストランなどの飲食店で働くよりはコストパフォーマンスに優れているといえるでしょう。

ただし、他の多くのバイトと違って、給料が時給計算ではなくコマ計算になっているため、比較計算する時には注意が必要です。
大半の塾のコマ給は90分単位で計算されますから、提示金額の3分の2で時給が出せますね。

基準を時給1000円にして考えると、私の知る限り、どんなに悪いところであっても塾講師は時給1000円は確実に超えてきます。
場合によっては2000円を超えることもありますから、取り合えず近場の塾に応募すればいいかと思います。

完全に生活費を賄えなかったとしても、他のバイトにはないさまざまな利点を考えれば目をつぶれる範囲ではないでしょうか。


【引き止められないから、いつでも辞められる】

シフトに融通が利くと説明した項目で述べたことに共通するのですが、やはり塾は講師の希望に応えてくれる風土が育っています。
就職の時期になるたびに学生講師が消えていく職場ですから、長期に渡って働いてくれる人員の存在には、最初からあまり期待していません。
毎年講師が辞めていく分だけ、新しい学生を講師に迎えればいいだけですから、講師が退職していくことに対する危機感は比較的低めです。
その結果、いつ「辞めたい」と言っても引き止められることはそうありません。

他の飲食店やコンビニ、スーパーなどのアルバイトでは、新しい人員が確保できるまで待たされることも多いですから、これは大きなメリットではないでしょうか。

たとえ引き止められたとしても、学生講師が入れ替わる1年ごとに辞める機会が巡ってくるわけですから、退職がズルズルと伸びていくこともないでしょう。


【基本的に需要が絶えない】

いつの時代にも学生は存在しますし、AIが仕事をよこどりする未来もまだ先でしょう。
今の生徒が卒業していっては、また新しい生徒が入る構造は、日本の教育が大きく変化しない限り変わることがないサイクルであります。
ですから、一度なんらかの科目の勉強をへて講師の経験をしておけば、いつでも再就職が可能です。


〈場所に左右されない働き方も〉

それに、塾はコンビニのようにどこにでもありますから、あなたの家の近くにも選択肢があることでしょう。
近場を選べば、「出勤に時間を掛けたくない!」を理由にフリーランスを検討している方のメガネにも適うことでしょう。

今回のコロナショックを受けて、チャットアプリを通じたネット授業のような取り組みを始めた塾も少なくありません。
今後の塾ではリモートワークが選べる講師が出てきそうですね。
そうなれば、フリーランサーにはさらに願ったり叶ったりなアルバイトになること請け合いです。


【まとめ】

今一度まとめましょう。
・シフトに融通が利く。
・身に付くスキルが無駄にならない。
・時給が高い。
・いつでも辞められる。
・需要が絶えない。
これらが塾講師バイトのメリットになります。
フリーランスを考えている一方で、会社員に近い経済面の信用が欲しい方は、一度検討してみてはいかがでしょうか。

お金は「どうでいいことの排除」に使う。お金持ちより「リッチ」を目指しましょう。

お金の使い方が上手になれば、自分の収入を他人と比較して一喜一憂するマインドから解放されます。

他人に任せられる「どうでもいいこと」を排除して、自分にしかできないことのための時間を買うためにお金を使う人こそが、単なる金持ちにとどまらない「リッチ」な人です。

この記事を読めば、
・あなたがリッチになる方法と考え方。
・そのための具体的なアクションプラン。
の2つが学べます。

また、
・なぜお金持ちじゃ足りないのか?
・なぜ時間を買うべきなのか?
ということについても、一定の答えが見出せるはずです。


【人類はみずからの機能をアウトプットしながら発展してきた】

有名な学説なので、皆さん一度は聞いたことがあるかもしれませんが、人類の文明の発達のメカニズムを説明する仮説として、
「ヒトはみずからの機能を体の外に出し、それを道具として使って効率的に作業を進めることで、今現在の文明までたどり着いた」
という考え方があります。

例えば、コンピュータは人間の計算能力をマシンという形で外に出したものですよね。
そして今では、人類はそうやってみずから出力した道具に生かされている、言わば「道具の奴隷」に近い状態なのかもしれません。
言葉のであり、これ自体が問題とは言いませんがね。

【人は今、AIロボットで「人間そのもの」をアウトプットしようとしてる】

こうして、人類はみずからが肉体を使って行ってきた様々な仕事を、「道具という分身」の力で効率化してきました。
このように考えると、文明の進歩が「AIロボット」に行き着くのは必然的だといえます。
「人間の機能のアウトプット」
が文明の進歩であるなら、それが最後に行き着く先は
「人間を作ればよくね?」
という発想であることは、想像に難くありません。

〈AIはヒトの脳を調べるために興った〉

ところで、あなたはAI研究のきっかけが何だか知ってますか?
利便性のためだと思った方は、残念ながら間違っています。

AIは今でこそ私たちの生活に役立つツールですが、その誕生のきっかけとなった目的は「ヒトの脳の模倣」でした。
なんでそんなことを目指したかと言えば、脳を調べるために、生きているヒトの頭をカチ割るわけにはいかないからですね。

だから、生身の人間の代用品として、電子部品でできた「破壊可能な脳」を作ろうとしたわけです。
ロボット技術の興りもこれと大差ありません。

なぜ、こんな話をするのかわかりますか?
このエピソードを知っておくと、
「なぜ、ヒトは機械に仕事を奪われてしまうのか」
がはっきりとわかるからです。

そもそも、AIとロボットは人間の模造品を目指して作られてきた存在です。
それが今では、最初に説明した「文明論」に乗っかって、「便利な道具」を目指すルートに入っているわけです。
便利な道具であるためには、AIロボットは生身の人間を越えることが義務です。
ツールを目指す以上、そこにしか存在価値はありませんから。
そしてその義務を果たすように、AIロボットは着々と人間の代用品としての機能を獲得して、社会進出を果たしているわけです。

つまり、AIロボットは科学と文明との結婚が生んだ、人類の子供みたいなものです。
人類が自力で目指せる文明技術の終着点でもあります。

文明がここまで発展してきた事実からわかる通り、人類はずっと「自分のアウトプット」に成功してきました。
過去を基準に現在を語るべきではないかもしれませんが、それが今更失敗に終わるとは到底思えません。
「できるまでやれば全ては成功できる」
とも言われます。
人類は今回の賭けにも勝つことでしょう。
AIロボットが席巻する未来は確実に待ち構えています。
よって、AIロボットと張り合うようなマネはよしましょう。

ちなみに、わたし個人としては、
AIロボットの理想形は「メイドロボ」にあり!
と考えています。
今流行りの「スマート家電」の類は、メイドロボの完成へと向かう過渡期なのではないですかね。
素直に流れを受け止めて、先ずはスマート家電との共存を図っていきましょう。


【文明の利器をやり取りするために使われるのが「お金」】

さて、話を戻します。

文明は人間の機能を外に出した副産物ですから、道具が仕事を始めてくれれば、その分人間はヒマを持て余すことになりますね。
そんな「ヒマな時間」が単に便利なだけの「文明の段階」を、工夫の施された「技術の段階」への押し上げていきます。

「哲学はヒマな時間が生んだ」
とはよく言われますが、哲学は技術をも生み出します。

そもそも大雑把に言えば、哲学は「人生や人類の目的」を考える学問ですよね。
哲学がこれらに一定の答えを出したなら、人々はこぞってこれを志すようになります。
近年では『嫌われる勇気』がベストセラーになり、「課題の区別」というテーマが人々の人生に浸透しつつあります。
これだって、同じような流れです。

哲学は人生に目的を与え、人生の目的はそれを志す決意を形作ります。
志す決意は生き方に工夫をもたらします。

例えば、奴隷を持つことが裕福の証であれば、侵略のために兵器を開発するという工夫が生まれます。
自由な時間を持つことが幸福の証であれば、ショートカットのために計算機やコンピュータを開発するという工夫が生まれます。

お金の流れが滞りなく回っていくのは、こうした技術とその結果が、
人々に娯楽を楽しむ時間をもたらすからです。
と同時に、その時間は彼らが文明の利器を買って、仕事をそれらに任せることができているからこそです。
つまるところ、お金は文明の利器を買って仕事から解放されるための「権利証」のようなものなのです。


〈現代の資産はお金じゃなくて信用〉

技術がブレークスルーを起こす度に、ヒトは何度も仕事を失ってきました。
有名な産業革命の時代にも、「機械打ちこわし運動」として知られる「ラダイト」がありました。
そして、そんな時代が訪れる度に、人々の間では哲学が脚光を浴びてきました。

今、哲学書である『嫌われる勇気』がベストセラーになっているのも、AIロボットに対する人々の危機感の表れかもしれません。
人々は哲学の中に答えを求め始めています。
「工夫の時代」の始まりです。
あなたは、自分の人生をどんな工夫をこらしたデザインにしますか?

私は「お金以外の資産形成」こそが、誰にでもできて誰もが必要とする工夫だと考えています。
難しい話ではありません。
あなたが商品やサービスを買って、そのためにお金を払う時にも「お金以外の資産」がやり取りされてる側面があります。

例えば、私たちが洋服を買う時、大半の方はユニクロに直行するかと思います。かく言うわたしもその口です。
なぜ私たちが他でもないユニクロを選ぶかと言えば、その理由は「安く買えるから」で済む程度のものではありませんよね。
その他にも、
・品質に信頼がおける!
・ここで買えばすべてが揃う!
・日本一の企業のひとつ!
などの多くの理由があるはずです。
(そもそも、最近のユニクロ製品は値上がりしてますしね)

さて、上記の三つに共通してみられる「わたしたち消費者の心理的な動き」はなんでしょうか?
答えは「信頼」「信用」などの「信じる心の働き」に他なりません。
つまりは、「信用」が健全なお金の流れを形作っているのです。

これは私たちが「個人で稼いで生きていく」ことを考えた時、非常に重要なトピックになります。
考えてみて下さい。
SNSYouTube、ブログなどで収益を出している人たちのコンテンツには、必ず多くのフォロワーが付いてますよね。
なぜフォロワーが彼らをフォローするのかと言えば、そのYouTuberやブロガーの発信する情報には価値があるという一定の「信用」があるからですよね。
要するに、ネットを使って稼ぐとなったときには、お金を稼ぐよりも「信用を稼ぐ」ことが収益に繋がるのです。
このような文脈においては、お金の発生は「ただの結果」です。直接的に目指すことのできるものではありません。必ず信用を迂回します。
大切なことですから、しっかりと覚えておいてくださいね。

ここまで読んで、
・工夫が文明の利器を生み出す。
・お金は文明の利器を通じて時間と交換される。
・これからは信用を稼ぐ時代である。
ことがわかったと思います。

一方で、現在は文明の利器の究極系であるAIロボットが作られつつあります。
ということは、これを生活に取り入れられる程度の収入を確保することが、次の時代のリッチへの足掛かりになると言えます。
次の項目では、この「リッチ」とはなんなのかを解説します。


【時間を買うお金の使い方ができると「リッチ」を名乗れる】

当たり前のことですが、どんなに多くのキャッシュを保有していたとしても、適切な使い方ができていなければ宝の持ち腐れです。

この意味で、生活の収支があっていて、そのため生活に一切困っていないならば、その人は十分にお金持ちと言えます。

ですが、それでもなお余るお金があるなら、これをただ寝かせておく手はありません。

〈投資はリターンが期待できません〉

株式投資や為替で資産運用せよ!
という話ではありません。

世の中には、大別して
①労働者
②事業家
③投資家
の三種類の経済参加者がいます。
この中で、投資家として成功するのが最も難しいとされます。
世界の長者番付を見ると、上位を占めているのはほぼ全員が②の事業家であり、③の投資家で上位に食い込んでいるのは、ウォーレン・バフェットただ一人です。
言うまでもなく、時間を切り売りしている①の労働者はランクインしていません。

つまり、お金持ちになるには事業家を目指すべきであり、私が言う「資産作り」とは、
「事業家としての資産作り」のことです。
簡単に言うと「自分の商品サービスを持つ」ということです。

これができると、働かなくてもお金が入ってくる生活が手に入ります。
お金に働いてもらって自分は有意義に時間を使えますから、お金で時間を買っていると言えます。

こうなると、自由な時間を社会貢献に使うこともでき、多くのかけがえのない人間関係もできてくるはずです。

このように、
・時間
・お金
・人間関係
の全てが揃ってる状態を、私は「リッチ」と定義しています。


【時間と引き換えに「資産の錬金術師」になる】

先に述べたように、リッチになるためには、まず「自分の商品サービス」を持たねばなりません。
そのために私がオススメするのが、以下の4つになります。

・ブログ
YouTube
・note
・動画編集スキル
・プログラミング学習

これらを使って自分のオリジナルコンテンツを作っていくことで、それらのコンテンツが勝手に働いて、あなたに収入をもたらしてくれます。

プログラミング学習だけは少々毛色が違いますが、「スキルを資産に持つ」という意味ではこれも立派な資産です。
プログラミングは今まさに需要が高まってるスキルですし、今のところ資格制ではないので供給過多になることもありません。
ブログやYouTubeなどのWebサービスを使った資産形成との相性も抜群です。
これからは誰もが動画で学び楽しむ時代ですから、動画編集スキルもバカにできません。あなた自身のコンテンツを制作する上でも必須になるでしょう。

私自身、「Progate」というサイトで絶賛勉強中です。

noteについても同じです。
継続することで多くの読者が集まってくれれば、彼らとの繋がりが金銭的にも精神的にも、あなたの人生を支える柱になります。

〈AIロボットが本格始動するの頃には、ベーシックインカムの時代が来る〉

話は変わりますが、あなたは「ベーシックインカム」という言葉をご存知ですか?
これは、人々の最低限の生活を保障するために、国が全国民に一定の金額を配布するという仕組みです。

ここまでは知っている人も多いと思いますが、そもそもベーシックインカムの存在意義がどこにあるかを知っている人は少ないと思います。
ヒントはAIロボットです。

では答え合わせです。
ベーシックインカムは、AIロボットが完全に人類から仕事を奪い切った時、AIロボットにお金を稼いでもらって、そのお金を人類に分配するために考え出された仕組みです。

どういうことかと言いますと、AIロボットが人類から仕事を奪ってしまつまら、この貨幣経済の中では人間が食べて行けなくなってしまいますよね。
そうなった時に、
「機械に養って貰えばよくね?」「むしろ安泰だよね」
と考え出されたのが、ベーシックインカムという「セーフティネット」なのです。
私が「AIロボットの理想形はメイドロボットだ!」
と言ったのは、この辺りが理由だったりします。
生身の人間が生きるための全てをお世話してくれるわけですから、まさにメイド的ではありませんか。

なんにしても、人間に仕事があるうちにベーシックインカムが運用される可能性はほぼありません。
AIロボットの働きに収入まで期待するには、もう少し待たねばなりません。
それに、機械が必要な仕事の全てをこなし、人間だからこそできる仕事が少なくなれば、ベーシックインカムしか収入源がない人と、それ以外に資産と呼べるものがある人との間で、貧富の差が出てきてもおかしくありません。

そういった意味でも、わたし達は今のうちに資産を作っておくべきなのです。

ベーシックインカム時代」までを乗り切り、尚且つその後の人生を有意義で生きがいのあるものにするためにも、個々人が独力で生きていけるだけの基礎体力はつけておいて損はありませんよね。
そのために、先ずは上記の5つの内から始めてみませんか?

わたしがブログやnote記事を綴っているのも、ひとえに人生に資産と呼べるものを持つためであります。
それが他者のためにもなることを確信してるからであります。

たとえ上記の5つから選ばなくても、他にも「自分の事業を起こす」などの道もあるでしょう。
こういう場合、わたしは一旦就職ないし転職することをオススメします。

この際の就職や転職の最適解についても、別の記事を書いていますので、そちらも読んでいただけると、あなたの人生の選択の幅が広がりますよ。


【最後に】

ところで、物語のクライマックスにおいては、「風呂敷を畳む」という表現がよく使われますね。
風呂敷が畳めるためには、そもそも風呂敷が十分に広がっていなければなりません。
つまり、十分に多くの選択肢を考慮したから、適切に畳んでいけるわけです。

人生もこれと同じで、広げていない風呂敷を綺麗にたたみ上げることはできません。
視野狭窄は、奪われるばかりの人生の始まりです。
あなたの人生も、さまざまな選択肢を十分に検討した上で、望む通りに折りたたんでほしく思います。

決意し選択するプロセスには素晴らしく価値がありますが、どうか見識をおろそかにしないで下さい。
人生の答えはマルバツゲームじゃありません。
今見えている選択肢の他にも、さまざまな道を開拓する余地が必ず残っています。

わたしの書いた文章が、皆さんの選ぶ未来に良縁をもたらしたなら、こんなに嬉しいことはありません。
わたしと一緒に、後悔のない人生をデザインしましょう。

最後まで読んでくださり、有難うございました。

社会人・学生のみなさん。新型コロナを人生を変えるチャンスにしましょう。

【コロナショックはあなた個人の「働き方改革」のチャンスです】

2020/04/07の緊急事態宣言を受けて、一時的に仕事がなくなってしまった方は少なくないと思います。
残念ながら、かく言う私もそんな1人です。

今回の宣言で、
在宅ワーク
・テレワーク
・リモートワーク
などと呼ばれる働き方の必要性を痛感している人が多いのではないでしょうか。

メディアが報じる新型コロナの影響や、あなた自身が職にあぶれてしまっている現状を受けて、会社に勤務して給料を受けとるだけの生き方に危機感を覚えていることと思います。

そこで本記事では、「ピンチをチャンスに変える!」というテーマで、今だからこそできる「人生を変えるためのチャレンジ(社会人編)」として、いくつかの具体的なアクションプランを提案いたします。

もちろん、私自身もこの機会をチャンスにする取り組みを始めたいと思います。
私自身は、今日から「ブログの毎日更新」を実施することを宣言します!

たった1つの決意と行動する勇気があれば、いつだってピンチはチャンスに変えられます。
私と一緒に、今回の「長い臨時休暇」を人生のターニングポイントにしましょう。


【プログラミングを学ぶか、ブログやYouTubeで資産を作るか】

先に述べた通り、収入源が一つしかない。しかも、それが会社に出社して受け取る給料だけというのは、非常に心もとない状態だと言えます。

新型コロナだけではなく、東日本大震災の記憶からも分かる通り、人類は未だに自然災害を克服できていないのですから。
今の働き方を続けていれば、必ず2度目3度目のコロナショックが来たときに後悔することになります。

とはいえ、今回のコロナショックについて言えば、ノマドワーカーやリモートワーカーなどの在宅勤務者はあまり影響を受けていないはずです。
彼らはそもそも外に出なくても稼ぐ手段がありますし、何よりも、過去の取り組みの蓄積が資産になっている場合、働く必要すらない場合もあります。

これらの状況を考えるに、今の私たちの取り組みが満たすべき要件は2つあると言えます。

①資産性があること。
②いつでもどこでも働けること。

上記の①、②を踏まえて結論から言えば、

・ブログ
・note
YouTube
・プログラミング学習

これら3つのどれかから選んで取り組むのがベストだと言えるでしょう。

そこで、次の項目では「なぜこの3つなのか?」について、資産性と機動性の面から解説します。


【資産性とは、過去の積み重ねが福利(レバレッジ)になること】

先程、私たちが今やるべき取り組みの条件として、

①資産性があること。
②いつでもどこでも働けること。

の2つを挙げましたね。
この2つを順に解説します。


〈資産性とは、成果が雪だるま式に増えていくこと〉

あなたは「福利」という言葉をご存知でしょうか。
福利というのは、主に資産運用の文脈でひんぱんに使われる言葉で、元手が増えるのにしたがって、それが生み出す成果も大きくなる状態を指します。

福利の効果はよく「雪だるま式」と言われますが、これは、最初は小さな雪玉でも、転がして大きくして行くうちに表面積が増えて、より効率的に表面に新しい雪の層ができていく様を表しています。

例えば、資産運用の場合では、100万円の元手を年間10%の利子が付く条件で運用した時に、一年目は100万円の10%が加算されますから、110万円に増えますね。
しかし、二年目からはこの110万円に利子が付きますから、121万円に増えます。
三年目では121万円の10%ですから、12万円増えて133万円です。

これが資産性がある状態です。

また、これを雪だるまではなく「テコの原理」で例える場合もあって、こちらは「レバレッジが掛かる」という言い方をします。
レバレッジが「テコ」のことであり、小さな力で大きなものを動かすイメージから、福利の持つ「小さく始まって大きく育っていく」イメージと重なるわけです。

ちなみに、元手が増えることがなく、それ故に常に一定の成果しか出せない仕組みを、福利の対義語で「単利」と言います。


〈ブログとYouTubeには資産性があります〉

さて、私は今回、あなたにブログとYouTubeでの活動をおすすめしましたが、それは、ブログとYouTubeには確かな資産性があるからです。

ブログとYouTubeが収益を生み出す仕組みを持っていることは、すでにあなたも知っていると思います。
ただし、ここでは具体的な仕組みの解説は割愛します。

ここで知っていただきたいことは、その資産性の仕組みです。

ブログにしろYouTubeにしろ、読者数やチャンネル登録者数が増えるにしたがって、収益も増えていくことは想像にかたくないと思います。
そして、SNS全盛の時代だからこそ、既存の読者やチャンネル登録者が、彼らが視聴するブログやYouTubeチャンネルの存在を口コミ宣伝してくれます。
これはつまり、既存の利用者の存在がレバレッジ(テコ)の役割を果たしてくれているということに他なりません。

イメージとしては、受精卵が発生するときの細胞分裂に近いものがあります。
分裂の段階が進むほど、一回の分裂で増加する細胞数が倍々ゲームで増えていきます。

SNSが持つ口コミの影響力にも同じイメージが適用できます。


YouTubeはその仕組み上、想定してる視聴者に届きやすい〉

さて。ブログやnoteなどの文字媒体のコンテンツは、キーボードさえあればチャレンジできる一方、
YouTubeには撮影環境が必要ですから、幾分かハードルが高いといえます。
それに、顔出しや声出しに抵抗のある方もいることでしょう。
(撮影機材はスマホで充分だと考えます。編集は最初からしない前提で撮影すればいいのです)

それでも、YouTubeチャンネルを開設するだけのメリットは間違いなくあります。
何故なら、YouTubeはブログやnoteよりも、圧倒的に「想定読者に届きやすい」という性質を持っているからです。

これは、そもそもYouTubeが営利目的の企業であることを考えれば、想像に難くないはずです。
YouTubeは動画に張り出される広告を提供している企業からお金をもらって運営している企業です。
ですから、お金を払っている広告主企業のためにも、その広告がちゃんとクリックされる動画に、広告を載せなければなりません。
尚且つ、日々投稿される数々の動画についても、ちゃんとその動画コンテンツに興味のある人々に向けて露出しないといけません。

例えば、ふだん動物の癒し系動画ばかり観ている人に向けて、転職をお勧めする内容の動画をサジェストしても、そこに乗せた転職サイトの広告がクリックされることはありません。

要するに、あなたがYouTubeに動画を投稿すれば、YouTubeの仕組みがあなたの動画の内容を自動で判断して、そのコンテンツに最も関心が高い人々に向けて公開してくれるのです。

つまり、ブログやnoteと違って、SNSなどを利用しての宣伝努力をある程度ショートカットすることができます。
YouTubeという巨人の方に乗っかることには、こんなにも大きなメリットがあるのです。

是非とも、まずはチャンネル開設から始めて、あなたの好きなように動画を撮影してみましょう。

わたし自身も、この連休中に挑戦する決意を固めております。


【プログラミングスキルは資産になる】

また、プログラミングスキルを学ぶことも、YouTube同様にハードルが高い挑戦でしょう。

何故なら、稼ぎに繋がるレベルのスキルに到達するには、3ヶ月から6ヶ月は学習期間が必要だと言われるからです。

だとしても、こちらもまた、やっておくと数多くの恩恵が待っていること請け合いです。
プログラミングはプログラミングでも「web系」と呼ばれる言語である
・HTML&CSS
PHP
ruby
などを学んでおけば、6ヶ月も待たないうちに使い道ができるからです。
具体的には、あなたのブログが「WordPress」で運営され始めたときに、ブログのデザインを自分の思いどおりに構築することができます。

これの何が良いかというと、webページの内部構造が理解できるようになれば、
「どんなサイト構築が収益に繋がりやすいのか?」
を自習できるようになることです。

例えるなら、自分が文章を書く人とそうでない人とでは、小説の読み方が違ってくるようなものです。
文章を書く習慣のある人が小説を読むときには、間違いなく文章の構造や著者の意図にまで思いが及ぶでしょう。

プログラミングを少しでも知っておくことで、webを使って行うすべての作業に、確かな裏付けを見出すことができるわけです。
つまり、プログラミングスキルは、今後のあらゆる仕事をしていく上で、あなたの人材価値を高めるための掛け算に組み込みやすいため、知っておいて得する確率が極めて高いと言えるのです。

仮に上手く組み合わせて使えなくても、そもそものエンジニア需要が高まっていますから、プログラミングスキル単体でも「クラウドワークス」などで仕事を受注することだってできます。

次の項目では、そんなプログラミング学習の具体的な始め方までを解説して行きます。


〈具体的な無料学習サイト〉

・Progate
・ドットインストール

どちらも基本的には無料で利用できる学習サイトになります。
動画での学習がメインになるので、普段から教育系のYouTubeチャンネルなどを視聴している方には、
幾分かハードルの低い選択肢になるかと思います。

ドットインストールの方は、動画の内容に癖があると聞いているので、わたし自身はProgateの方で学習を進めております。

また、ドットインストールの方がレベルが高いとも聞くので、Progateを一通り学んだ後で、知識に不安を感じたならドットインストールにも目を通す。
という流れが理想ではないでしょうか。


【今日の学びが今日のうちしか使えない時代】

今はとても変化の早い時代です。
そんな中では「将来のための学び」という目的意識はオワコンです。
今日の学習における正しい目的意識は
「今日のために今日を学ぶ!」です。

さまざまなチャレンジについても同様のことが言えます。
チャンスは今日のうちに掴んでおかないと、チャレンジする機会も意義も簡単に過去へと流れていきます。

かのレオナルド・ダ・ヴィンチ
「チャンスの女神には前髪しかない」と言っています。
これはつまり、チャンスの神様には後ろ髪がないから、目の前に来たときにしっかりと掴みとっておかないと、後ろからでは掴める髪がないという意味です。

ですから、どうかあなたもコロナをチャンスに変えるために、今日、できれば今から行動を始めてください。
それがどんなに小さな一歩であっても、あなたの「これから」にとって大きな一歩であることは、わたしが約束します。
わたしはあなたを応援します。
あなたもわたしを応援してくれると嬉しいです。

では、また会いましょう。